最初の作品である『歓びの毒牙』(1970)以来、彼はおもに「ジャッロ」と呼ばれるジャンルの作品を撮った。暴力が残虐性を帯びた犯罪の物語で、その特徴は、強い興奮と恐怖を楽しむために足を運ぶ観客によく知られた不変のコードであった。
しかし、この境界線の内側に閉じこもるどころか、アルジェントの作品は、マニエリスム絵画からバロック芸術、ヨーロッパのヌーベルバーグまで多くの様々な影響の融合であり、ジャンル映画と現代性の総合である。
現代性から、彼は様式の大胆さと実験に対する関心を導きだし、ジャンル映画からは、登場人物、犯罪者、被害者、探偵、そして秘密の陰謀と血なまぐさい儀式からなる物語とを引き継いだ。
アルジェントは、高尚な素材と下品な素材を混ぜ、継ぎ合わせることを好んだ。例えば、彼の作品では、オペラと写真小説は隣り合っている。
アルジェントの映画の美は、非常に危うい状態にある。それは、観客が見たものを信じ、感覚が理性よりも優位に立つことを受け入れる、という条件のもとに成り立っている。したがって、新しく魅惑的な世界が出現し、現実は謎の一部を明かし、観客は抽象的な悪夢のただ中に飛び込むのである。
『サスペリア パート2』はダリオ・アルジェントのフィルモグラフィーの中で特別な作品である。彼はこの作品に自分自身の要素を多く取り入れている。彼はとりわけ、マーク(デヴィッド・ヘミングス)とジャンニ(ダリア・ニコロディ、彼女は当時、監督の恋人になった)という2人の登場人物の関係を重視している。彼女はやや男性的な面を持っており、彼は女性的な一面がある。彼らは相反する性格である。
形式的な点から見ると、彼はほとんど実験的ともいえる多くのことを試みた。カメラの動きはとてつもない作業を必要とした。
彼は、劇場で大勢の観客を前にした、非常に鋭い知覚を備えた一人の女性というアイデアから出発した。彼女は聴衆の中に一人の狂人、一人の殺人者がいるということを感じるのである。
伝統的なジャッロ映画である以上に、『サスペリア パート2』は精神的な構築物である。脚本というよりは、むしろ物語の筋立ては、題材または素材になっている。それに、クレジットタイトルをさえぎるフラッシュバックは2人の脚本家の名前のすぐ後に入れられている。反対に音楽は、監督の名前を強調するために突然止まっている。
それ以前には疑う余地があったとしても、この作品以降は、アルジェントとほかの監督の作品を混同することは不可能であろう。それぞれの場面には作家の特徴が表れているからである。飽和状態の色彩の仕上がり、殺人の病的な詩情、省略された語りなどにより、『サスペリア パート2』は『サスペリア』(1977)とともに、彼のすべての作品が比較されることになる、この作家の基準となる作品とみなされている。
ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)