1790年、50歳で国立牢獄から釈放されたサド侯爵は、ロベスピエール率いるla section des Piquesの一員となる。彼は多くの革命的攻撃ビラを執筆する。しかし、彼の貴族の出自と危険な評判により、1793年に再び投獄される。というのも、非常に清教徒的なロベスピエールは「ジュスティーヌ」の著者に対して、まったく同情を抱けなかったのである。
恐怖政治の時期に、様々な監獄で過ごしたサドについては、ほとんど何も証言がない。ジャコと脚本家のジャック・フィエスキは、心ゆくまでフィクションの要素を取り入れることができた。彼らが考え出したのは、サドの愛人マリー=コンスタンス・ケスネ(彼女は1814年の彼の死までそばにいる)がジャコバン派の指導者を誘惑し、恋人が処刑されないようにするという物語である。同様に、サドが投獄を利用して戯曲(彼は、複数の戯曲を書いている)を上演し、拘留された貴族の若い女性に感情的・性的教育を行うというエピソードを創作する。
彼女は、エミリー・ド・ランクリという名の純真な若い女性であるが、旺盛な、見込みのある好奇心を抱いている。サドにとっては手に入れるべき獲物であった。さらには、彼の信念を教え込むための理想的な生徒であった。それは、自由がすべてであり、幸福といわゆる背徳は憎むべきものではなく、むしろ反対であるという信念である。純真無垢なエミリーに対するサドの手ほどきは、ブノワ・ジャコが真の技量と強烈さ、省略法をもって操る場面で実現される。
サドの著作を読み(再読し)、作者をもっと知りたいと思わせるこの映画には、サドの哲学をよりよく理解するための考え抜かれた会話が出てくる。「本能に従いなさい」「実体のない思想も思想のない実態もない」など。
サドに実体を与えるのはたやすいことではない。この役割を果たすためには特に優れた俳優が必要であった。ダニエル・オトゥイユは脚本の執筆段階から承諾していたが、この役柄にふさわしく見事に演じている。
ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)