2009年10月17日

『王妃マルゴ』(フランス映画、パトリス・シェロー監督、160分、1994年)

1572年8月、パリは騒然としている。プロテスタントのナヴァール王アンリ、未来のアンリ4世は、カトリックで、フランスの娘、カトリーヌ・ド・メディシスの娘であり、不安定な王シャルル9世の妹であるマルグリット・ド・フランス、別名マルゴと結婚しようしている。夫婦は愛し合っていない。これはカトリーヌ・ド・メディシスによって御膳立てされた政略結婚である。
カトリックとプロテスタントの間にある憎悪と対立を沈静化すること、さらには、教皇グレゴワール13世、スペイン、プロテスタント諸国の体面に配慮する目的である。
恐怖と敵意、暴力は、結婚式がとり行われたノートルダム教会の中にまで感じられる。マルゴの兄たちは、無遠慮に尊大な態度を見せ、妹との曖昧な関係を隠さない。マルゴは傲慢で気まぐれな王女である。カトリーヌ母后は、娘の結婚式の日に早くも陰謀を企てる。
それぞれの勢力は争いを求め、様々な人物の相反する野心、そしてもちろん王子たちの権力への志向などと一体となった皇太后の不手際は、結婚式のわずか6日後に、恐ろしい虐殺によって国全体を揺るがすことになる。この暗澹たる時期が、マルゴにそれまで彼女が知らなかった概念を発見する機会を与える。利他主義、友情、そして愛である。
パトリス・シェローは滅びゆく時代を描く。断絶しかけているヴァロワ家と、彼らの標的であるナヴァール王アンリが体現するブルボン家が、政治的復活に重要な影響をもたらす。王家は無道徳なマフィアの家族のように描かれている。
『王妃マルゴ』は、歴史映画ではない。それは映画作家の意図するところではない。映画の原作小説の作者デュマのふさわしい後継者として、パトリス・シェローは伝説の不吉な場面に動きを与えようとする。
映画が描くのとは反対に、この時代のヴァロワ朝は輝いており、フランスは数年続いた市民戦争の後で、まさに文化的・政治的ルネッサンスを迎える。プロテスタントの廃れてしまった厳格な世界を前にして、宮廷は、デュマやシェローによって描かれた衰退からほど遠い。
パトリス・シェローは伝説の暗く曖昧な面を描くすべを心得ていた。この不吉な伝説と、映画公開当時、旧ユーゴスラビアで悲惨を極めた身内同士の戦争とが対比して描かれていることが見てとれる。この点について、作曲家としてゴラン・ブレゴヴィッチ(セルビア人の母とクロアチア人の父を持つ旧ユーゴスラビア人)を選んだことは、おそらく偶然ではない。
血と性、暴力が、これほど絵画的なこの映画の主題である。俳優の演技は実に印象的である。イザベル・アジャーニは、犠牲になった王女を演じて見事であり、ジャン=ユーグ・アングラードは狂気で驚かせる。ヴィルナ・リージは恐ろしく、計算高く、吸血鬼じみたカトリーヌ・ド・メディシスを完全に演じている。ダニエル・オトゥイユの抑えた演技もまた忘れてはならない。
『王妃マルゴ』は16世紀のフランドル絵画に似ている。画は素晴らしく、背景の色はくすんでおり簡素である。衣装はきらびやかで、映画作家が見せるルーヴルの光景は斬新である。
シェローは、非常に現代的な、寛容を擁護し、独裁を告発する映画を撮った。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 00:30| 奈良 | Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。