2009年12月09日

『アイズ・ワイド・シャット』(アメリカ映画、スタンリー・キューブリック監督、159分、1999年)

宇宙と歴史、恐怖と戦争、犯罪と欲望を探究した後、キューブリックは、13作の映画で好みのテーマ群を取り上げながら、ほとんどのジャンルを扱った。なかでも、1人1人の人間の心の中にある暴力と、そこから生じるすべて、とくに権力、戦争、愚かさなどを挙げることができる。
『アイズ・ワイド・シャット』では、トム・クルーズ演ずるハーフォード医師は、他のキューブリック作品の登場人物と同じく、体制や教育に囚われていて、彼らの夢や幻想、野心を破壊するような、極端で並外れた状況に直面する。
人間は、スタンリー・キューブリックを魅了する存在であり、彼は、人間のシニカルで分析的で厳しく、冷たい肖像を作り上げ、ほとんどの場合、映画から生かして逃がさない。純粋さあるいは命を失うのである。一般的に、人間には償いや再生の権利がある。そこに、キューブリックの倫理が位置づけられる。
それぞれが、性についての自分自身の見方、つまり自分自身の恐れを持っている。『アイズ・ワイド・シャット』は、それぞれの性についてではなく、個々人が、自らの本能や観念を前にした時に感じる恐れについて語る。それが、彼らには制御できない唯一のものであるかのように感じ、欲望やその他の幻想を支配しようとするのである。
映画の原作であるアルトゥル・シュニッツラーの小説『夢小説』と比べてみると、スタンリー・キューブリックはすべての精神分析的要素を脚本から削除し、シドニー・ポラック監督が演じる、億万長者の謎めいた登場人物を加えた。
トム・クルーズとニコール・キッドマンが、これほど巧みに演技指導されたことはなかった。クルーズが、魅力的で曲がりくねった、彼の意識にとって恐ろしく破壊的な道を行く危険を冒したとすれば、キッドマンは自分の幻想をさまようかのようであり、彼女の視線は、人間の情熱と感情を強烈に表現した。
『アイズ・ワイド・シャット』は多くのテーマにふれている。破壊的な嫉妬、嘘、婚姻制度、カップルの間の信頼などである。
映画の最後のシークエンスは、クルーズとキッドマン演ずるカップルによって想起される性的な欲求不満のあとに訪れる、ある種のオルガスムの爆発である。
キューブリックはあえて、最大のスター(クルーズ)を起用して、母国アメリカに、もっとも強いタブー(性)を突きつけた。彼の視覚的な遺言は、何よりも善悪二元論ではありえない倫理的視点である。
『アイズ・ワイド・シャット』は、人間と、人間に課せられた図式に対する依存を深く分析する。スターが演ずるカップルは、私たちそれぞれの内にあり、また社会に存在する暗い部分を目覚めさせる。1つの社会には独自の規則があり、その暗い部分を管理しようとするのである。
スタンリー・キューブリックの最後の作品は、個人的な遺言であり、そこには、亡くなった映画作家の、思考や原則、哲学的価値が流れている。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 01:25| 奈良 ☀| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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