2010年02月13日

『満月の夜』(フランス映画、エリック・ロメール監督、95分、1984年)

「2人の妻を持つ者は魂を失い、2つの家を持つ者は理性を失う」これが、エリック・ロメールの〈喜劇と格言〉劇集4作目の副題である。4つの章は11月から2月の4つの月にあたり、初めの月ですべてが明らかになる(このシリーズによく見られるように、選ばれた格言に言葉通りに対応するわけではない)。
 ルイーズと友達のオクターヴ、ルイーズと恋人のレミの間の2つの長い会話が、物語の出発点を詳細に述べ、すでに起こりうるすべての結果を描いているように見える。賛成と反対の意見が検討され、危険が特定される。物語はルイーズの不安定さから生まれ、彼女が2つの家の間を絶え間なく移動することが、映画にリズムを与える。最初のクレジットは、道からヒロインの郊外の家へのパンを背景に現れ、論理的に、映画の最後でカメラは逆の動きをする。
 『満月の夜』に点在するこれらの動きは、登場人物の移動に寄り添うにとどまらず、都市圏の周辺に生まれ、生活様式に重要な変化を起こす〈新しい街〉の問題に取り組みながら、社会問題を取り入れている(このまわりの環境に対する注意とともに、この作品では、ロメールの映画を構成する要素の1つが見られる。それが、彼の映画について、時を越えているとも、まさに時代遅れだとも形容させるものである)。
『満月の夜』は、2つの魅力的な声による多声歌を思わせる。最初の声は若い女性のもので、彼女にとって80年代は素晴らしい展望を見せるものだったが、残念ながら映画の公開直後に亡くなった。パスカル・オジェはエリック・ロメールのいつものロマンティックで古びたヒロインたちとは対照をなしている。この作品で、彼女は時代に先んじ、未来的なランプを作り、身の回りの品をプラスティック製のかごに入れて持ち歩き、宇宙から来たような運動靴で歩く。頑として独立している彼女は、男性から逃げながら、彼らを開放する使命を負っている。彼女の言葉は優しく、無慈悲で、助けとなる言葉である。
彼女の透き通った声に、まだ若いファブリス・ルキーニの声が加わる。彼は、いじめられる洒落男で、ご婦人方が丁重な友情以外は求めない、気の毒な腹心の友を演じている。きわめて機能的な、素晴らしく撮影された街は、最後には結びつく彼らのリフレインの共鳴箱の役割を果たす。この映画はその予兆的な正確さと繊細な美によって感嘆させ続ける。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 15:53| 奈良 ☀| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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