3人の名士とその妻たちが、夕食会で食事をともにしようとするが、どうしても果たせない。コカインを取引する大使、マリファナを吸う士官たち、庭師で殺人犯の司教、さらに、ルイス・ブニュエルの好きなカクテル、ドライ・マティーニの詳しい作り方。これが、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を紹介する1つの方法である。
1972年に撮られたこの作品は、風変わりで、価値を覆すような作品であり、信じられないほど創意に富むものだ。「たとえ、シュルレアリズムという言葉がまったく表に出ていなくても」と共同脚本家のジャン=クロード・カリエールは思い出して語る。見かけのレアリズムは、次第に幻想的になっていく入れ子式の奇妙な物語を通じて、少しずつ夢の論理に場所を譲る。
物語の基となるアイディアは、反復をめぐるものである。実際、様々な物語がバリエーションをつけて、あるいはそのまま繰り返される。この主題を発展させることができるのは、1つの状況である。それは、絶えず中断される夕食会という状況である。そもそも映画は、長い間『招待客』という題名であった。
ブニュエルの映画を観る時に陥りがちな危険は、どうしても解釈したいという誘惑である。正確な意味を探さないようにして、このスペインの映画作家が作り出す独自の物語を受け入れるほうがいい。ブニュエル作品を観るということは、何よりも、分析したいというオブセッションを離れ、心の中で旅をして、体験することである。ジャン=クロード・カリエールによれば、この映画を構想する上で主に問題となったのは、まったく平凡なものではなく、かつ幻想的で非合理的でもない出来事を見つけることであった。「主人が亡くなったばかりで隣の部屋に横たわっているレストランに行くこと、従業員がどうしても給仕をしようとすることなどは、十分考えられることだ!」物語の中で、ありふれたことと不可能なことの間にある距離を縮めるために、脚本は5回にわたって書き直された。
70年代そのものの美学、あせた色、三つ揃えの衣装にネクタイで正装した登場人物、〈特別出演〉として登場するミシェル・ピコリなど、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』はクロード・ソテの映画‐ただし調子が狂った‐を思わせるところがある。あるいは、フィルムが混ぜてしまったかのようだ。ルイス・ブニュエルのフランスに対する視線には、情熱と正当さがある。
彼の、ブルジョワのしきたりに対する考え方は非常に特殊であった。他の映画作家で、このように辛辣で暗い視点を持っている者はいない。彼は五月革命を愛し、この運動に対してシュルレアリズムが与えた間接的な影響があっただろうかと自問した。しかし、数ヵ月後には、間違いようもなく、再び社会を支配したのはブルジョワであった。映画は200万人近くを動員した。なぜなら、この作品には当時、文化的な重要性があったからである。そして、この奇妙な寓話は、アカデミー外国映画賞を受賞することになるが、今日ではまったく想像することができない。
ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
2010年04月15日
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