2010年07月15日

『アメリカの夜』(フランス映画、フランソワ・トリュフォー監督、112分、1973年)

「単純に私の生きる理由に関する『アメリカの夜』のおかげで、私は自分を再構成し、自分自身と和解した。」とフランソワ・トリュフォーは、1974年12月11日、ジャン=ルイ・ボリに書き送っている。この生きる理由とは映画である。『アメリカの夜』を観た者は、トリュフォーによる、映画の撮影とは何かを形容する隠喩を思い出す。それは、急ぎの旅である。私たちは、出発の時には素晴らしい旅であるようにと願うが、次第に困難に遭うにつれ、より謙虚に、目的地に到達することを願うようになる。それは、夜の中をひた走る列車である…。
フランソワ・トリュフォーは、映画を撮影中の監督の役を演じている。つまり、決断をためらうことは許されず、かつらやリボルバー、せりふなどについて、一日中問いかけられる人物の役である。彼が肉体的に参加したこと、その早口で不安な話し方は、映画に強烈さと隠れた重要性を与えている。
1973年の公開当時、『アメリカの夜』は、ジャン=リュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォーの間に、手紙による激しい応酬を引き起こした。ゴダールは、トリュフォーを〈嘘つき〉であると非難し、この形容詞を通じて、おそらく、映画のスタッフというものを神話化し、政治色を取り除こうとする見方を提案したことを非難した。ゴダールは、また、監督が物語の中で誰とも寝ない唯一の人物であること、権力関係がはぐらかされていることに苦言を呈した。
ゴダールの善意あるいは悪意がどうであれ、この書簡の影は映画に漂っていたが、興業的には大きな成功を収め、アカデミー最優秀外国語映画賞を受賞した。
DVDの特典映像を通じて、誰もが映画製作について何でも知っていると信じている時代に、『アメリカの夜』は人口の雨を降らせる機械や、注意深く汚された作り物の雪などといった、技術的な裏話には留まらない。連続する逸話は楽しく、配役は絢爛たるもの(ヴァレンティナ・コルテーゼ、ジャン=ピエール・レオー、ダニ、ジャクリーン・ビセットなど)であったが、感動させるのは監督の自画像である。
急いでいるが注意深い男、俳優を安心させ、悲壮な状況をジョークによって救う男、映画の中の監督であるフェランは、またトリュフォーでもある。彼は、『パメラを紹介します』と題された映画の中の映画が大作にならないように気をつけて、あまりに重要になることを避けた。
すべての技術スタッフが画面に登場し、新人のナタリー・バイもまた右往左往している。ジャン=フランソワ・ステヴナンは実際の助監督であり、俳優としても助監督を演じたが、彼の困難を回想している。「私はこのエピナル版画[訳注:通俗的な色刷り版画]に少し困惑していた。そして、私に、スピーカーで叫ばせたフランソワに対して、かなり怒っていた。なぜなら、彼の撮影においては全く考えられないことだったからである。しかし、映画を再見した時…あ然とした。私にとってアニメ的で誇張されたものと見えたことがすべて、いつのまにか消えていたからである。スクリーンでは映画作家フランソワ・トリュフォーであり続けた。私から逃れ去ってしまったのは映画の真実であった。」

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 23:33| 奈良 ☁| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。