この映画のアイディアは、ダリオ・アルジェントが読んだグラツィエラ・マゲリーニの著作から生まれた。その中では、フランスの作家スタンダールが、芸術作品からの影響によって激しいショックを受ける人々がいることに気づいたことが語られている。彼らは、様々な痛みに苦しみ、意識を失うことが多い。
アルジェントは、〈真面目な〉映画批評家の間では長く理解されない映画作家であった。『スタンダール・シンドローム』によって、ついに90年代後半から評価されるようになったが、彼が映画を撮り始めてから、じつに30年の月日がたっていた。
これはまず間違いなく、アルジェントが、格調高い形式(オペラ、絵画、文学)と同様、卑俗な形式からの主題(ジャッロ、ゴア、ハードロックなど)も自分の映画の中に取り込もうと努めてきたことによるであろう。
彼は、まさに色彩に秀でた画家であり、好みの色は、彼のフィルモグラフィー全体に流れる血の色、つまり赤である。彼は、1つの作品の中で、あるいは1つのショットの中で、ジャンル映画と作家映画とを対峙させることにより革新を行った。また、3Dの生まれるずっと以前に、映像に奥行きを与えた。フレーム外の部分をほとんど無くして、フレーム内にある物に集中した。ダリオ・アルジェントの作品では、映像は常に変わり続け、1つの状態から他の状態へと移行し、ある意味で 震えているのである。
『スタンダール症候群』は監督の「ジャッロ」への回帰を意味する(このイタリア語で「黄色」を意味する言葉は、イタリアで50年代に人気を博した推理小説の表紙が黄色だったことを象徴する)。
「ジャッロ」の特徴は、被害者を容赦なく刃物で殺害する犯人である。エロティスムもまた典型的な要素である。映画では、マリオ・バーヴァ監督によって、このジャンルへの道が開かれた。彼は、非常に様式化された演出により、血なまぐさい殺人を撮った。
アルジェントは、この「ジャッロ」の約束事を再び使いながら、自らの個人的なオブセッションをつけ加える。「ジャッロ」を参照しつつも、自分のスタイルを発見することができたのである。
フランスで最も優れた映画の専門家、ジャン=バチスト・トレがいみじくも書いたように、ダリオ・アルジェントは「恐怖の魔術師」なのである。
ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)