明日(11日)17〜18時再放送です。


こちらからインターネットで直接聴けます。
http://www.jcbasimul.com/program/area06_a03.html
ところで番組の中で語られた感動のストーリー、一枚の写真をめぐって、
明日の再放送を前に、当日のアシスタントだった中尾知美さんがまとめた文章がありますので
引用します



田中誠司さんは、初めは映画監督を目指していたが芽が出ず苦しんだ。その時、彼の親友が映画以外の道もあるということで、親友の人生を変えさせられた、ダンサーであるピナバウシュさんの舞台を観ることを勧められた。しかし、誠司さんは映画監督に夢中でその時は舞台に行くことは考えなかった。その後、ピナバウシュが再び日本に来日したとき、もしかしたらこの舞台により自分の人生も変わるかもと思い、チケットを購入するために電話をした。そこでソールドアウトを知らされたが次の瞬間に、一席のキャンセルがあり、チケットを手に入れた。舞台に行けることにはなったものの、人生を変えさせられるほどだと緊張してしまい、公演前はほとんど寝られなかった。そんなこともあり、当日幕が開いた瞬間に寝てしまい、最後のスタンディングオベーションで起きたのだ。そのとき目にしたダンサーやピナバウシュのオーラ、観客の熱狂から、自分はすごいものを見逃してしまったのだと気づいた。自分は映画監督になる以前に、人のためになにかを作る資格もないと思い、公演後ロビーの端で頭を抱えて泣いた。しばらくすると、ロビーにいた観客も自分だけになった。そこに、入口から男性が、おじいさんを車椅子に乗せて中へ入ってきた。誠司さんはそのおじいさんのそばに行きたい思い、彼らの後ろに付いて行った。するとおじいさんは誰もいない劇場の扉を開け、じっと待った。すると、ステージからピナバウシュが彼のもとへ駆け寄り、おじいさんにキスをした。その瞬間、誠司さんは無意識にカメラを手にして写真を撮った。おじいさんが誰なのか、二人はどのような関係なのかも知らなかったが、撮った瞬間に涙が出た。その後、車椅子のおじいさんは舞踏の創始者である大野一雄であることを知った。その時は分からなかったが、とても深い意味を持った一枚の写真を撮ってしまったことを、誠司さんは本当に失礼なことをしたので謝りたいと考えた。


誠司さんにピナバウシュについて教えてくれた友人に、手紙と例の写真を送った。その時、その友人はあの時のピナバウシュの日本公演を三日間予約していたが、最終日に予定が入ってしまい、キャンセルをしたことを知った。つまり誠司さんはそのチケットを手に入れたのだ。
それからいくらか経った後、写真を渡した友人が、踊ったことは一度もなかったがダンサーになると決心し、パリの芸術学校に入学した。ある日、誠司さんは彼から手紙を受け取り、友人はカフェで偶然ピナに出会い、誠司さんが撮った写真を渡してくれたことを知らされた。ピナバウシュは、受け取った写真をじっと見て、こう言ったそうだ。「こんな素敵な瞬間に写真を撮って良いか聞くほうがおかしい。これは私の生涯の宝物です。彼に怒ってない、心からありがとうと伝えて欲しい。」

ピナに写真を渡した次は、大野一雄さんに写真を渡さなければいけないと誠司さんは考えた。調べれば調べるほど偉大な人であることを知り、自分は何を言われても誤りに行かなければならないと確信した。誠司さんは大野先生に電話をして謝罪し、次の日、その写真を彼のもとへ届けることになった。大野家に到着し、息子の大野慶人さんに写真を渡した。すると、彼は写真と誠司さんを五分間眺め続けた後、「あなたがこの写真を撮ってくださったこと、私たちの家族にとってこんな素敵なことはございません。ありがとうございました。」と言い、頭を下げた。誰かも分からない自分に心を込めて挨拶をしてくれたことに誠司さんは衝撃を受けた。それから誠司さんは大野一雄先生に直接会うことになった。先生は話すことはできなかったが、彼の手を取り話しかけると微笑んで聞いてくれた。先生の優しさと迫力に圧倒され、誠司さんはこの関係を無駄にしたくないと思い、稽古の見学をし、ドキュメンタリーを作らせてもらうことにした。一年間稽古場に通ってドキュメンタリーを作っていたが、ある時、映画監督を目指しているにも関わらず、カメラが邪魔に思えた。自分の目の前にいるダンサーたちは、カメラの前で体を張って堂々としていた。これから先、誠司さんは自分を人前に晒して生きるのか、晒されて生きるか考え、自分は見つめる側でなく見つめられたいと確信した。その後、自分も踊って良いか先生に聞くと、彼は一言、「お待ちしていました。」と言った。そこから田中誠司さんの舞踏人生が始まったのだった。