カラックスは宇宙人だと言われている。彼の作品は空から降ってきたように見えるからである。作品は夢から生まれる。彼のフィルモグラフィーはその簡潔さに特徴がある。劇場公開の長編映画4本、『ポーラX』のテレビ用バージョン『ピエールあるいは曖昧さ』である(さらに、数本の短編映画とビデオクリップをつけ加えなければならない)。
レオス・カラックスは無声映画への限りない情熱について繰り返し表明している。そして創作活動において、ビュルレスクやパントマイムを取り入れながら、美的な面でそれを引き受けている。
彼は第七芸術である映画史上の偉大な名前を共存させた。キートン、チャップリン、ヴィゴ、コクトー、ブレッソン、ガレル、そしてゴダールである。
カラックスは映画の2つの対極を結ぶ想像上の線を綱渡りし続けている。それは、現代性と記憶という2つの極である。
彼の作品は何よりまず恋愛であり、彼に愛され、賞賛された女優への捧げものである。―『ボーイ・ミーツ・ガール』のミレイユ・ペリエ、『汚れた血』のジュリエット・ビノシュ、『ポーラX』のカテリナ・ゴルベヴァなど。
ドニ・ラヴァン演ずるアレックスはカラックスの分身である。
1986年公開の『汚れた血』については2つの言葉で表現することができる。閃光と感情である。この視覚的な詩は、当時、弱冠26歳の監督によって撮影され、空想と熱狂を漂わせている。これは、まず、アレックス(ドニ・ラヴァン)とアンナ(ジュリエット・ビノシュ)の熱狂的な愛の物語であり、「速く、速く、速く疾走し、でもずっと続いてゆく」愛の礼賛である。そして同時にまたシュルレアリスティックなギャング映画である。
年老いた2人のギャング、マルクとハンスは「アメリカ女」と呼ばれる女性に借金を返済しなければならない。かれらは研究所からワクチンを盗みだすことを計画する。そして昔の友人の息子であるアレックスに助けを求める。アレックスは仲間に加わる。かれはマルクの愛人アンナの魅力のとりこになる。
この物語の筋立てとは別に、デヴィッド・ボウイ、プロコフィエフ、タンタン、ゴダール、ランボーへのレファレンスによってリズムを与えられた奇抜なショットを通じて、輝きを放つ、色彩豊かな映像が作り出された。
タイトルそのものも、ランボーの散文詩「地獄の季節」の詩から取られたものである。
アレックスの最後の言葉は、「何時に船上へ運んでもらえばいいか教えてください」というものであるが、これは、文字どおり、ランボーがマルセイユから送った最後の手紙に書いた言葉なのである。
時がたつにつれて、『汚れた血』は80年代を象徴する映画になった。80年代は、エイズが(アレックスの恋人が、フレーム外で彼の性器にコンドームをつける場面を通じて語られている)恐怖とともに姿を現した時期である。詩的な力強さについては、今なお、まったく失われていない。
ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)