2011年08月12日

名作映画への誘い⇒空想のきらめき展⇒ジャズライヴ⇒なら燈花会

≪なら燈花会≫知ってますか?
こんなキレイなイベント………
http://www.toukae.jp/
14日(日)まで奈良市内各地で開催されます。

さて、最終日の前日の明日、奈良県立美術館ではこんな
素敵な展覧会が開催されています。
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-22269.htm

この≪空想のきらめき〜シュルレアリスムとイメージ世界〜≫展に
皆さまをご招待します。


それだけでなく、奈良シネクラブ代表の檜原恒一郎さんが
≪空想のきらめき≫展に合わせるように
『名作映画への誘い〜シュールレアリズムと映画』の題名でのトークがあります。
http://eurokn.seesaa.net/article/219829815.html

さてさて、それだけでなく、檜原さんの(たっての)リクエストもあり
(「シュールレアリズムとジャズてすごく合うんよ」)あり、
マーシャル大木ジャズバンドによるジャズの生演奏があります♪♪♪


これがすべて無料という話、皆さん、信じられます。
このあと、みんなで燈花会(とうかえ)の桃源の世界に入ってゆきましょう。

★8月13日(土)の16時から19時、奈良県立美術館(近鉄奈良から徒歩5分、県庁横)
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-15714.htm
☆『名作映画への誘い』by 奈良シネクラブ代表の檜原恒一郎氏
★「空想のきらめき〜シュルレアリスムとイメージ世界」鑑賞
☆マーシャル大木ジャズバンドのLIVE
★入場:無料(予約不要)

♪♪メンバーはマーシャル大木(drum)、山中一雄(sax)、鷲尾一夫(guitar)、尾崎 薫(bass)♪♪
posted by nakai at 10:48| 奈良 ☀| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月03日

シュールレアリズムと映画 by 檜原恒一郎(奈良シネクラブ代表)

『名作映画への誘い』
             【シュールレアリズムと映画】
 《シューリレアリズム》
◎ 第一次世界大戦(1914〜18)とロシア革命(1905〜17)を経験した若者たちの詩と美術を中心とした革新運動。 1920年代に勃興。
◎ 理性と科学を信じた〈デカルト的世界〉への反逆。  フロイド哲学の影響。
◎ 『理性によって行使されるどんな統制もなく 美学上 道徳上のどんな気使いからも離れた……』 詩人アンドレ・ブルトンによる『シュールレアリズム宣言‘24』
『ミシンと蝙蝠傘との解剖台の上での偶然の出会いのように彼は美しい』ロートレアモン『マルドロールの歌』
  ◎ 非(超)現実 夢 無意識 狂気 反抗 
◎ 手法 : 自動記述 デペーズマン コラージュ 等々。

《1920年代の映画》
◎ 1895年に始まった映画の歴史。 1920年代無声映画の成熟期。
◎ 映画の根源的な機能は二つ。
@記録機能 : ドキュメンタリー リアリズム
A時間空間を越えるトリック機能 : 究極はアニメ 非現実を描く機能

《シュールレアリズムと映画》
◎ シュールレアリスト達が重視した夢の中の不合理なイメージ 重力法則に反する運動などは映像によって定着が可能。映画は本質的にシュールレアリズムと一体。
◎ シュールレアリスト達はこの映画の特性に注目。
同時に映画作家達も時代精神を反映する新しい主題と技法を模索。
◎ ドイツにおける表現主義、フランスにおける前衛映画活動。
◎ 前衛映画の主な作家達
*ルネ・クレール    *ルイス・ブニュエル *ジャン・ヴィゴ
*ジャン・ルノアール  *ジャン・コクトー
posted by nakai at 17:40| 奈良 ☀| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月18日

『スタンダール・シンドローム』(イタリア映画、イタリア・ダリオ・アルジェント監督、120分、1996年)

若い女性捜査官アンナ・マンニは、フィレンツェでの捜査に必要であったため、美術館を訪れる。素晴らしい作品に囲まれた彼女は、スタンダール症候群(芸術によって引き起こされる激しい反応であり、とくに繊細な人が陥る)によって失神する。目覚めた時、彼女は記憶を失っており、自分の武器が無くなっていることに気づく。アルフレドという若い男が助けを申し出るが、彼女は拒絶する…。
この映画のアイディアは、ダリオ・アルジェントが読んだグラツィエラ・マゲリーニの著作から生まれた。その中では、フランスの作家スタンダールが、芸術作品からの影響によって激しいショックを受ける人々がいることに気づいたことが語られている。彼らは、様々な痛みに苦しみ、意識を失うことが多い。
アルジェントは、〈真面目な〉映画批評家の間では長く理解されない映画作家であった。『スタンダール・シンドローム』によって、ついに90年代後半から評価されるようになったが、彼が映画を撮り始めてから、じつに30年の月日がたっていた。
これはまず間違いなく、アルジェントが、格調高い形式(オペラ、絵画、文学)と同様、卑俗な形式からの主題(ジャッロ、ゴア、ハードロックなど)も自分の映画の中に取り込もうと努めてきたことによるであろう。
 彼は、まさに色彩に秀でた画家であり、好みの色は、彼のフィルモグラフィー全体に流れる血の色、つまり赤である。彼は、1つの作品の中で、あるいは1つのショットの中で、ジャンル映画と作家映画とを対峙させることにより革新を行った。また、3Dの生まれるずっと以前に、映像に奥行きを与えた。フレーム外の部分をほとんど無くして、フレーム内にある物に集中した。ダリオ・アルジェントの作品では、映像は常に変わり続け、1つの状態から他の状態へと移行し、ある意味で 震えているのである。
『スタンダール症候群』は監督の「ジャッロ」への回帰を意味する(このイタリア語で「黄色」を意味する言葉は、イタリアで50年代に人気を博した推理小説の表紙が黄色だったことを象徴する)。
「ジャッロ」の特徴は、被害者を容赦なく刃物で殺害する犯人である。エロティスムもまた典型的な要素である。映画では、マリオ・バーヴァ監督によって、このジャンルへの道が開かれた。彼は、非常に様式化された演出により、血なまぐさい殺人を撮った。
アルジェントは、この「ジャッロ」の約束事を再び使いながら、自らの個人的なオブセッションをつけ加える。「ジャッロ」を参照しつつも、自分のスタイルを発見することができたのである。
フランスで最も優れた映画の専門家、ジャン=バチスト・トレがいみじくも書いたように、ダリオ・アルジェントは「恐怖の魔術師」なのである。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 17:43| 奈良 ☀| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月18日

『キングス&クイーン』(フランス映画、アルノー・デプレシャン監督、150分、2004年)

『キングス&クイーン』は、次第にその密接で対立した関係が明らかになる、まったく正反対の2人の登場人物がたどる道筋を追いかける。
 1人はノラという人物である。彼女は、失敗に終わった結婚と父の臨終によって、悲痛な運命をたどる。ノラは最悪の事態を経験し、それに優雅に立ち向かう。
 もう1人の登場人物は滑稽である。イスマエルは音楽家で、意に反して精神病院に閉じ込められてしまう。彼はそこでヒップホップ・ダンスを踊り、彼と同じぐらい頭のおかしい弁護士のおかげで、税務署の追及から無傷で逃れる。
ノラとイスマエルは再会し、お互いにゆっくりと決定的に別れる。
互いにぶつかり合った2つの道筋は、今もぶつかってから新たに離れる。それは、倍音と同じように単純な対位法のメロディーを作り出す、複雑で豊かで力強い2つの弦のようである。
 この作品では、監督の視線が最も小さな動作においても人間の部分を見通し、明らかにして、登場人物それぞれを、映画そのものよりも大きな人間性に結びつける。だから、間違いなく、古典的な神話への多くの参照がある(壁のポスターやノラが父に贈るデッサンなどを通じてである)。
 男性も女性も、この作品ではまさしく、避けがたい悲喜劇である人生に囚われた王と王妃である。かたくなで冷たいノラでさえも、彼女の人生を形づくる男性たちの影響でより複雑化する。
『キングス&クイーン』は、〈家族〉の映画である。少女時代のノラを溺愛した父、寛大で公平なイスマエルの父、1人の父の意思、もう1人の、子供を養子にすることへの拒否、母になることができないノラなど。
映画終盤の場面で、男と子供はパリ人類学博物館を訪れる。監督は、彼らを最も近くから撮影し、博物館の空間と展示は画面外にある。大人は子供に向かって、大人の言葉を放棄することなく、なぜ、彼を養子にできないのかを説明する。彼は、迷いや罪悪感、重圧、そして本質的に親子関係に属する選択について語る。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 01:44| 奈良 ☀| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月16日

ヨーロッパ映画研究会最後から2番目の集まり

ジャック・タチをこの研究会で紹介するのははじめて。
アメリカでは人気のある作家(「フランス風」のタッチ)。
「プレイタイム」
大変なお金を使って作られた、きわめて野心的な作品といい、
講師のピエール自身個人的な好きな作品である。
でも、商業的には大失敗……
巨大なセットをつくり 細部まで完璧に
フランスでは唯一と言える70mmのフィルムを使って
(いまではもう不可能な話だ…)
なにせ、1分分が2500ユーロ!!!
それが2時間
DSC00722.JPG
タイトルの「プレイタイム」とは?
エッフェル塔がちらりと反射して見えるもの風景は未来風パリの街
「遊び時間」は映画の内容をよく表している、だって、まさに「巨大な遊び」
レストランのシーンでは、大人たちがダンスをして(まるで)子供に戻るようだ
フランス人でも理解に苦しむような分かりにくいフランス語は
(タチのほかの映画でも言えることだが)
登場人物はまるで子供のように体を使って表現する(言葉ではない)
主人公のユロも背の高い人物だが、まるで子供
前作「ぼくの伯父さん」は成功したので、そのままの路線で続けて良かった(と誰もが思った)が
あえて、野心的になったタチ
あえてムリをした、それがジャック・タチ
すべての点において高くついた「遊びの時間」
まったくの商業的失敗
いまでは評価の高いこの作品も(結局)タチにとってのつまづきになった。
DSC00723.JPG
「レクリエーション」
「1つの大都会」といった仮題が先に存在したことから
タチがパリを主題にしたわけではなかったことは明らか。
空港、レストラン、すべてすべてがスタジオセットだった。
ガラスに囲まれたビルでの撮影は困難を極める(カメラが反射するので)。
プレクシーガラスという特殊な工夫がなされた。
当時の文化大臣(あのアンドレ・マルロー)はこのセットを残すことを拒否したのぜんぶ壊した。
タチは映画大学を作りたいと思っていたのに。
DSC00725.JPG
予算も尽き、台本の半分も使われなかった。
ノープロブレム……ストーリーは必ずしも重要でないので。
でも、天候は気まぐれ、何回も何回も何回も撮影を繰り返し、結局3年半を要する。
タチの娘がモンタージュ(編集)したが、当初の版は2時間半
だから、いくつものヴァージョンが存在する。
タチはすべての版権を放棄した。
のちに娘が買い戻す。
タチは細部に細部に細部にこだわり続けた。
前景だけを見ててはこの映画の一部した見たことにならない、味わえない。
詳しくはピエールのエッセイを見てください。
posted by nakai at 23:16| 奈良 ☁| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月05日

『プレイタイム』(フランス映画、ジャック・タチ監督、126分、1967年)

チャールズ・チャップリンは、自分の作品がマックス・ランデーの影響を受けていることを認めていたが、フランスのスラップスティック・コメディを最もよく代表するのはジャック・タチである。ユロ氏という伝説的な登場人物によって世界中で有名なタチは、アカデミー賞を受賞した(1958年の『ぼくの伯父さん』)数少ないフランス人監督の1人である。
1967年に、タチは大規模で夢想的な企画に自らの才能をすべて傾けるが、公開された当時は、まったく受け入れられず、理解されなかった。同時に彼の芸術的な信用と金銭面の重要性を失わせることとなった。「プレイタイム」(1967)は、今では満場一致で賞賛されるが、この喜劇映画の巨匠のフィルモグラフィの中できわめて重要な作品であり、奇抜で個性的な映画である。
『ぼくの伯父さん』から10年近くを経て、非常に現代的なパリの迷路の中で道に迷ったユロ氏がまた戻って来た。亡霊のような、カフカ的な首都の中での、ユロ氏の迷宮のような道ゆきには、多かれ少なかれ失敗に終わる数々の出会いがちりばめられている。生気のない、非常に勤勉な管理職、かつての軍隊仲間、いらいらした出張販売員、没個性の巨大なビルに夢中になるアメリカ人旅行者などである。これらの素晴らしい人々は、最後に、高級レストランであるロワイヤル・ガーデンの盛大なオープンの夜、再会するが、豪華さは見かけだけのものである。そして、洪水のように次々と起こる災難…そしてギャグ。
 タチのすべての作品においてまさしく中心となる、この登場人物は、この作品においては、物語の道しるべに留まっている。映画を通じて、ユロ氏は、タチによるモダニズムの人間味のない世界に姿を現すが、物語の筋立ては一切明らかにならない。ユロ氏は、単調なパリを〈訪れて〉、一連のギャグに遭遇する。『プレイタイム』は、すでに1967年から現れ始めた大量消費社会に対する非常に批判的な視線が認められる喜劇である。
目的に達するためにタチがとった手法は巧みである。彼はまったく単調な街を描く。そこでは、すべての建物が同じで、アパートも完全に似通っており、ホテルは空港のようである…。ある旅行代理店で、旅行者たちは、様々な行先を広告するポスターの前で夢中になる。ニューヨーク、ロンドン…。しかし、すべてのポスターには同じ建物が写っている。
ジャック・タチが描いて見せる世界は、完全に画一化されている。映画の中で、パリであると知ることができるのは、ガラスやドアに映り込んだいくつかの建造物のおかげである。こうして、かつてのパリは、ほのめかされるだけである。映画の中のパリは、自由主義の拡大に立ち向かうことなく、侵略されるにまかせたのだ。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 00:34| 奈良 ☀| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月20日

『みんな誰かの愛しい人』(フランス映画、アニエス・ジャウイ監督、110分、2004年)

エチエンヌ・カサール(ジャン=ピエール・バクリ)は成功した作家である。彼の作品の1つが(平凡に)映画化されたばかりである。彼には美しい金髪の妻カリーヌ(ヴィルジニー・ドゥザルノ)と、最初の妻との間の娘ロリータ(マリルー・ベリ)がいる。しかし、ロリータは太っていて、気持が沈みがちで、絶えず認めてほしいと願っている。それらすべてのことが、自分の子供よりも、いっそう自分のエゴに専念するエチエンヌには耐えがたい。
自分の人生に意味を与えるために、ロリータはシルヴィア・ミエ(アニエス・ジャウイ)のもとで歌のレッスンを受ける。数人の同僚とともにコンサートを行うためであった。シルヴィアが、ロリータが崇拝するカサールの娘であると知った時、彼女の生徒に対する興味は増大する。やはり文学の分野に進みたいと思っている夫ピエール(ロラン・グレヴィル)とともに、シルヴィアはカサール一家と親密になる…。
全体の雰囲気、生き生きとした会話、俳優の演技などから、ジャウイ‐バクリの作品であることがすぐに分かる。多くの様式的な面、また主題などから、私たちはこの成功した二人三脚の続きを見ることになる。『キッチンでの出来事』(1993)、『家族の気分』(1996)、『ムッシュ・カステラの恋』(2000)に続く、『みんな誰かの愛しい人』は、俳優の演技に見られる、たぐい稀な自然さ、表面的な輝きが日常生活の急襲に耐えられない、生ける屍の世界への外科的な侵入、苦境に陥って出口を見いだせずに堂々巡りする、笑うべき操り人形の行き来である…。
今までの作品と同じく、本作も本質的に悲観的である。ほとんどすべての登場人物は、自分の取るに足りない、内的な星まわりに囚われており、他人とは、敵意、自省、嘲笑、偽善を通じてしかコミュニケーションを取らない。そして逆説的に、観客は、この操り人形のワルツに自分を重ね合わせて何度も(しばしば苦笑いであるが)笑う。監督の中にはやたらに殺す怪物たちを描くことを専門にしている人がいるが、ジャウイ‐バクリのコンビは、打ちのめすような即答の専門家に、そして、絶望した登場人物のおかげで、頬の筋肉を刺激する技術の名人になった。
『ムッシュ・カステラの恋』ですでに明らかだった変化が、より明確になっている。私たちは、毎週、郊外のカフェで集まっていた家族の小さな輪を離れ、象徴性が発展した、より複雑な心理的世界に浸る。ここでは、もはや機知に富む言葉だけが人形劇の目的ではない。
個人的な苦悩に巧みに降下しており、そのため、ロリータの傷ついた人物像は正しい節度をもって素描され、心を打つような成功を収めている。彼女を取り巻く人間も皆、心理的な行き詰まりと、焼灼されない苦悩によって身動きできなくなっている。映画の最後の場面で、一条の希望の光がさすとしたら、ラシッド=セバスチャン(カイン・ボーヒーザ)という登場人物によるものだろう。彼は、静止した原子の銀河の中における自由電子なのである。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 02:09| 奈良 ☁| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月15日

『アメリカの夜』(フランス映画、フランソワ・トリュフォー監督、112分、1973年)

「単純に私の生きる理由に関する『アメリカの夜』のおかげで、私は自分を再構成し、自分自身と和解した。」とフランソワ・トリュフォーは、1974年12月11日、ジャン=ルイ・ボリに書き送っている。この生きる理由とは映画である。『アメリカの夜』を観た者は、トリュフォーによる、映画の撮影とは何かを形容する隠喩を思い出す。それは、急ぎの旅である。私たちは、出発の時には素晴らしい旅であるようにと願うが、次第に困難に遭うにつれ、より謙虚に、目的地に到達することを願うようになる。それは、夜の中をひた走る列車である…。
フランソワ・トリュフォーは、映画を撮影中の監督の役を演じている。つまり、決断をためらうことは許されず、かつらやリボルバー、せりふなどについて、一日中問いかけられる人物の役である。彼が肉体的に参加したこと、その早口で不安な話し方は、映画に強烈さと隠れた重要性を与えている。
1973年の公開当時、『アメリカの夜』は、ジャン=リュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォーの間に、手紙による激しい応酬を引き起こした。ゴダールは、トリュフォーを〈嘘つき〉であると非難し、この形容詞を通じて、おそらく、映画のスタッフというものを神話化し、政治色を取り除こうとする見方を提案したことを非難した。ゴダールは、また、監督が物語の中で誰とも寝ない唯一の人物であること、権力関係がはぐらかされていることに苦言を呈した。
ゴダールの善意あるいは悪意がどうであれ、この書簡の影は映画に漂っていたが、興業的には大きな成功を収め、アカデミー最優秀外国語映画賞を受賞した。
DVDの特典映像を通じて、誰もが映画製作について何でも知っていると信じている時代に、『アメリカの夜』は人口の雨を降らせる機械や、注意深く汚された作り物の雪などといった、技術的な裏話には留まらない。連続する逸話は楽しく、配役は絢爛たるもの(ヴァレンティナ・コルテーゼ、ジャン=ピエール・レオー、ダニ、ジャクリーン・ビセットなど)であったが、感動させるのは監督の自画像である。
急いでいるが注意深い男、俳優を安心させ、悲壮な状況をジョークによって救う男、映画の中の監督であるフェランは、またトリュフォーでもある。彼は、『パメラを紹介します』と題された映画の中の映画が大作にならないように気をつけて、あまりに重要になることを避けた。
すべての技術スタッフが画面に登場し、新人のナタリー・バイもまた右往左往している。ジャン=フランソワ・ステヴナンは実際の助監督であり、俳優としても助監督を演じたが、彼の困難を回想している。「私はこのエピナル版画[訳注:通俗的な色刷り版画]に少し困惑していた。そして、私に、スピーカーで叫ばせたフランソワに対して、かなり怒っていた。なぜなら、彼の撮影においては全く考えられないことだったからである。しかし、映画を再見した時…あ然とした。私にとってアニメ的で誇張されたものと見えたことがすべて、いつのまにか消えていたからである。スクリーンでは映画作家フランソワ・トリュフォーであり続けた。私から逃れ去ってしまったのは映画の真実であった。」

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 23:33| 奈良 ☁| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月19日

『ロスト・ハイウェイ』(フランス-アメリカ映画、デヴィッド・リンチ監督、135分、1997年)

フレッド・マディソンは、毎晩ナイトクラブで舞台に立ち、妻レネエと平穏そのものの暮らしをしている。ある朝、レネエは1本のビデオカセットが入った小包を見つける。そこには自宅の外からの映像、続いて屋内が映っていた。フレッドは悪夢を見始め、ついにはパニックに襲われた現実と夢の非現実との区別がつかなくなる。その上、謎の男の出現によって、彼の生活は脅かされる。ある晩、彼は妻を切り刻む夢を見る…。
リンチ流の映画の頂点をなす作品であり、この幻想的かつ精神分裂的なスリラーは、複数の真実の、そして病める人間の激しい苦悩の形をとった、理解の絶え間ない探究である。『ロスト・ハイウェイ』に対しては公開当時、様々な解釈がなされた。そのジャンルがまさに存在しない時、そのジャンルの規則を見抜こうと試みることができるだろうか?LSDによるトリップであり、有機質と無機質の並はずれたコラージュであり、迷宮のような多様性をもつ『ロスト・ハイウェイ』は、すべての論理を破壊しつつ、映画を思うがままに再発明した。映画は、ずれた時間性の原則に基づいており、いくつかの出来事の映像は、それらが起きる前に見せられる。
言いようのない、ほとんど神秘性に近いまでに心にふれる感覚の遮断と、実物大の悪夢の、あいまいで陰謀的な筋立てに基づく状況を目の前にした観客が、当惑した見物人になることを強いられる背景を紡ぎだしている。『ロスト・ハイウェイ』には、何度も観た後でも謎が残る。実際、私たちは、つねに曖昧ではあるが、感受性によって毎回新たな要素を捕えることができる。映画を彩る精神的な場面は、デヴィッド・リンチが望んだ超実験的な面を拡大させ、その飽くことなき想像力がもつ力は、驚くべき感覚を媒介する。
物語をハウリングしがちな楽曲のように構成し、動揺させる雰囲気と音色を探しながら、リンチは、感覚の指導者を自任する。そして無限の直感的な組み合わせで自らの美学の法則を練り上げる。破壊的な激しさの、アンダーグラウンドのごった煮である映画のサウンドトラックは、断絶と変化に賭けている。ダブ、ジャズ、イージーリスニング、ロック、トリップ・ホップの驚くべきミックスである、この音楽的な旅は、私たちを、まずは混乱したデビッド・ボウイを通じて不安な世界に引きずり込み、ラムシュタインによる急激な過激さになり、そして私たちをクラフトワークによる退廃に没入させる。ハリウッドの伝説の迷路で 空間と時間を崩壊させながら、本質と形式との中断された交接が、変貌した映画へのオブセッションの柔軟な感情の勝利を祝っている。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 23:00| 奈良 ☁| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

『勝手に逃げろ/人生』(フランス‐スイス映画、ジャン=リュック・ゴダール監督、88分、1979年)

テレビ局のプロデューサー、ポールは妻と別れ、娘セシルの親権は妻が持っている。ポールは、毎月、妻と娘に会う。彼は、ときに恋人のドニーズと暮らすが、彼らの関係はどちらかというと緊張している。とくに、今は、ドニーズが田舎で暮らすためにテレビ局の仕事をやめるのでなおさらである。ドニーズが暮らしていたアパートを借りたいと思っているのはイザベルである。彼女は売春婦で、頼まれたことはたいていの場合、すべて受け入れる。なぜなら、そうすれば人生は単純だからである。ある日、ポールは妻と娘を見つけて道を渡る。そして、一台の車に轢かれる…。
『勝手に逃げろ/人生』はジャン=リュック・ゴダールの〈商業〉映画への復帰となる(もちろん、商業の概念は相対的なものである。とくにゴダールに関して語るときには…)。ジガ・ヴェルトフ集団に属し、ビデオ作品による左翼急進主義の闘争的映画を撮っていた10年に及ぶ年月の後であった(テレビのための数本の製作を除けば、ほとんどがアンダーグラウンドの映画であった)。『勝手に逃げろ/人生』の配役は豪華である。まずはジャック・デュトロン、イザベル・ユペール、ナタリー・バイなどであり、音楽はガブリエル・ヤレドが担当した。
『勝手に逃げろ/人生』はゴダールのフィルモグラフィの中で1つの頂点をなし、最も成功した作品の1つであって、同時にこの作家の美的変遷の中での決定的な段階である。実際、この映画でゴダールは、その後、決して離れることのない新しいトーンを発見した。よりはっきりと詩的で、直接的な政治性が少ないトーンである。自然に結びついていることの多い映像の美は(ゴダールは自然を人間のように撮影する)、『勝手に逃げろ/人生』に静かで瞑想的で哲学的な調子を与えている。この感興は、ゴダールがのちに、次第に探究していくことになる。つまり、始まりを目撃するだけにますます興味深いのである。映像詩は次第に力を増すが(例えば、ナタリー・バイの顔のクロース・アップはとても印象的である)、この作品では、子供時代と並んでゴダールにとって大切なテーマである、男性・女性の難しい関係と、正面から描くのではなく、想起される売春もまた力を持っている(ユペール演ずる登場人物と彼女の妹が台所で交わす露骨な議論は、『ウィーク・エンド』〈1967〉の始めにミレイユ・ダルクが打ち明ける、同様にあけすけな告白を想起させる)。
『勝手に逃げろ/人生』は常に進化し、問いかける作品のさきがけである。その点で、芸術的にだけでなく、歴史的にも重要な作品である。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2010年04月15日

『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(フランス映画、ルイス・ブニュエル監督、97分、1972年)

3人の名士とその妻たちが、夕食会で食事をともにしようとするが、どうしても果たせない。コカインを取引する大使、マリファナを吸う士官たち、庭師で殺人犯の司教、さらに、ルイス・ブニュエルの好きなカクテル、ドライ・マティーニの詳しい作り方。これが、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を紹介する1つの方法である。
1972年に撮られたこの作品は、風変わりで、価値を覆すような作品であり、信じられないほど創意に富むものだ。「たとえ、シュルレアリズムという言葉がまったく表に出ていなくても」と共同脚本家のジャン=クロード・カリエールは思い出して語る。見かけのレアリズムは、次第に幻想的になっていく入れ子式の奇妙な物語を通じて、少しずつ夢の論理に場所を譲る。
 物語の基となるアイディアは、反復をめぐるものである。実際、様々な物語がバリエーションをつけて、あるいはそのまま繰り返される。この主題を発展させることができるのは、1つの状況である。それは、絶えず中断される夕食会という状況である。そもそも映画は、長い間『招待客』という題名であった。
ブニュエルの映画を観る時に陥りがちな危険は、どうしても解釈したいという誘惑である。正確な意味を探さないようにして、このスペインの映画作家が作り出す独自の物語を受け入れるほうがいい。ブニュエル作品を観るということは、何よりも、分析したいというオブセッションを離れ、心の中で旅をして、体験することである。ジャン=クロード・カリエールによれば、この映画を構想する上で主に問題となったのは、まったく平凡なものではなく、かつ幻想的で非合理的でもない出来事を見つけることであった。「主人が亡くなったばかりで隣の部屋に横たわっているレストランに行くこと、従業員がどうしても給仕をしようとすることなどは、十分考えられることだ!」物語の中で、ありふれたことと不可能なことの間にある距離を縮めるために、脚本は5回にわたって書き直された。
70年代そのものの美学、あせた色、三つ揃えの衣装にネクタイで正装した登場人物、〈特別出演〉として登場するミシェル・ピコリなど、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』はクロード・ソテの映画‐ただし調子が狂った‐を思わせるところがある。あるいは、フィルムが混ぜてしまったかのようだ。ルイス・ブニュエルのフランスに対する視線には、情熱と正当さがある。
彼の、ブルジョワのしきたりに対する考え方は非常に特殊であった。他の映画作家で、このように辛辣で暗い視点を持っている者はいない。彼は五月革命を愛し、この運動に対してシュルレアリズムが与えた間接的な影響があっただろうかと自問した。しかし、数ヵ月後には、間違いようもなく、再び社会を支配したのはブルジョワであった。映画は200万人近くを動員した。なぜなら、この作品には当時、文化的な重要性があったからである。そして、この奇妙な寓話は、アカデミー外国映画賞を受賞することになるが、今日ではまったく想像することができない。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 19:53| 奈良 ☔| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月18日

『パリ、テキサス』(フランス・ドイツ合作、ヴィム・ヴェンダース監督、145分、1984年)

映画の最初のショットからすでに、私たちは映画の起源に回帰したという深い印象を受ける。カメラ視点による空間の探究から、1人の登場人物と原型に近い1つのフィクションが同時に生まれる。それは、親子の関係と家族の(再)構成を通じたアイデンティティの探究というものである。最初から、ライ・クーダーの音楽が私たちを物語の中に導く。ブルース、ロック、カントリーの結合から生まれた典型的なアメリカの音楽である。
 トラヴィスは、どこでもないところから突然現れ、どこでもないところに向かうように思える。彼は、最後には夜の奥深くに入って、未知の行き先に向かうことになる。西部劇の主人公のことを思い出さずにはいられないだろう。つまり、西部劇への参照は自然で避けられないものである。なぜなら、明らかなことは、ヴェンダースがアメリカ映画に対して感じる魅惑が、彼を元の場所、したがって映画の神話が不意に出現する環境に戻らせるからである。
 しかし、ヴィム・ヴェンダースの企ては、この映画の最初の状態への回帰のみではあるまい。映画の題名そのものも、隠喩的にヨーロッパとアメリカの関係を参照させる。逸話的な説明によれば、妻がテキサス州パリの出身であるトラヴィスの父を指し示す。ヨーロッパ人が新世界に対して感じる魅力は、アメリカ人がかつて根を下ろしていた旧大陸に対して感じる魅力と対をなす。 それによって、映画の2つの軸が出会う。空間と親子の関係(トラヴィスは、父の話では、そこで自分が母に宿されたというテキサス州パリに土地を買う)。トラヴィスの道のりは、アメリカ映画の変遷(無声からトーキーへ)に対応する。つまり、開かれた無限の空間から、ガラスや仕切り、扉によって閉じられ、境界を定められた空間への道のりである。物語は冒険を背景に始まり、ピープ・ショウのボックスの寂寞とした内省に変質する。
『パリ、テキサス』が私たちに見せてくれるのは、映画の役割そのものである。それは、すべてのカテゴリーと、絶対的他者を消しさるすべての体系を越えて、あるがままの現実を知覚する可能性である。トラヴィスは、ヴェンダース映画の他のすべての主人公と同じく、世界を、自分が組み込まれた、1つの調和した体系としてではなく、瞬間とイメージ、そして、彼が恵まれた観客となって、自らは不在のまま発見し始めるスペクタクルの連続として理解している。そこから、ヴェンダースの登場人物たちの不透明さが生じる。彼らはお互いに不可避的に無関係であり、媒介を通じてしか知りあえない。それは、ものまね、トランシーバーやテープレコーダーを使うことなどである(これらはすべてトラヴィスと息子との関係においてである)。同様に、トラヴィスと子供の母親ジェーンとの関係においても、多くの例をあげることができるだろう。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2010年02月13日

『満月の夜』(フランス映画、エリック・ロメール監督、95分、1984年)

「2人の妻を持つ者は魂を失い、2つの家を持つ者は理性を失う」これが、エリック・ロメールの〈喜劇と格言〉劇集4作目の副題である。4つの章は11月から2月の4つの月にあたり、初めの月ですべてが明らかになる(このシリーズによく見られるように、選ばれた格言に言葉通りに対応するわけではない)。
 ルイーズと友達のオクターヴ、ルイーズと恋人のレミの間の2つの長い会話が、物語の出発点を詳細に述べ、すでに起こりうるすべての結果を描いているように見える。賛成と反対の意見が検討され、危険が特定される。物語はルイーズの不安定さから生まれ、彼女が2つの家の間を絶え間なく移動することが、映画にリズムを与える。最初のクレジットは、道からヒロインの郊外の家へのパンを背景に現れ、論理的に、映画の最後でカメラは逆の動きをする。
 『満月の夜』に点在するこれらの動きは、登場人物の移動に寄り添うにとどまらず、都市圏の周辺に生まれ、生活様式に重要な変化を起こす〈新しい街〉の問題に取り組みながら、社会問題を取り入れている(このまわりの環境に対する注意とともに、この作品では、ロメールの映画を構成する要素の1つが見られる。それが、彼の映画について、時を越えているとも、まさに時代遅れだとも形容させるものである)。
『満月の夜』は、2つの魅力的な声による多声歌を思わせる。最初の声は若い女性のもので、彼女にとって80年代は素晴らしい展望を見せるものだったが、残念ながら映画の公開直後に亡くなった。パスカル・オジェはエリック・ロメールのいつものロマンティックで古びたヒロインたちとは対照をなしている。この作品で、彼女は時代に先んじ、未来的なランプを作り、身の回りの品をプラスティック製のかごに入れて持ち歩き、宇宙から来たような運動靴で歩く。頑として独立している彼女は、男性から逃げながら、彼らを開放する使命を負っている。彼女の言葉は優しく、無慈悲で、助けとなる言葉である。
彼女の透き通った声に、まだ若いファブリス・ルキーニの声が加わる。彼は、いじめられる洒落男で、ご婦人方が丁重な友情以外は求めない、気の毒な腹心の友を演じている。きわめて機能的な、素晴らしく撮影された街は、最後には結びつく彼らのリフレインの共鳴箱の役割を果たす。この映画はその予兆的な正確さと繊細な美によって感嘆させ続ける。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2010年01月11日

『レミング』(フランス映画、ドミニク・モル監督、125分、2005年)

「私が年をとっても、愛してくれる?」ドミニク・モルと脚本家ジル・マルシャンの手になる新たな迷宮では、ベネディクト(シャルロット・ゲンズブール)の夫アラン(ロラン・リュカ)に対する問いかけが重要な鍵である。
『レミング』はムードの映画であり、すでに超自然に近い状況に向かった『ハリー、見知らぬ友人』(2000年)にあったのと同じ、不安をかき立てる悪意を作りだす。例えば、現実離れした家の白い外壁を汚す、ベネディクトの心を離れない疑いや、来客用の寝室の壁から消えようとしないかのような血の跡などである。
モルの2作目の長編映画は、分身、吸血鬼、幽霊、まやかし、自殺しやすい齧歯類(衰弱のために溺死したのでなければ)、などについての作品である。
モルとマルシャンのペアは、規範となる作家たちを知っており、確かな類縁性を映画にちりばめている。暗い廊下の突き当たりでの、めまいのような、素晴らしいためらい、非常によく考えられた音などについてはデヴィッド・リンチ、そのサウンドトラックや病的なフェティシズム(とりつかれた場所、肖像写真のゲームなど)についてはアルフレッド・ヒッチコックである。
『ハリー、見知らぬ友人』のからの綿密な焼き直しである『レミング』は、再び友人と男性の図式を、恋愛と女性の物語に導く。2組のカップルと、その1組がなりうるものについての物語である。若いエンジニアの男性と、無気力で劣等感から解放された分身の男、家庭の主婦と、彼女の影である絶望の中に沈み込んで自殺しやすい憂鬱症の女性、夫は彼女を「変わっている」と見なし、彼女に対して与える苦痛さえも理解しない。
ベネディクトは、夫の雇い主の妻によって生気を吸い取られる。この新スタイルの『レベッカ』(ヒッチコックの映画で、若い娘が、その過去の写真がリフレインのようによみがえり、死者の亡霊によって飲み込まれる)は、子供の遊びに関わることが明らかになる。
申し分のない俳優陣に助けられ(2人のシャルロット、ゲーンズブールとランプリングが抜きんでている)、モルは、謎と亡霊についての巧みさ、日常と非合理との間を行き来する才能、悪夢のような雰囲気を、何でもない細部から作り出す自在さを裏づけた。それは、寝室への侵入者、奪われたキス、それまで静かだった家と同じく清潔なはずの配管の中の齧歯類などである…。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2009年12月09日

『アイズ・ワイド・シャット』(アメリカ映画、スタンリー・キューブリック監督、159分、1999年)

宇宙と歴史、恐怖と戦争、犯罪と欲望を探究した後、キューブリックは、13作の映画で好みのテーマ群を取り上げながら、ほとんどのジャンルを扱った。なかでも、1人1人の人間の心の中にある暴力と、そこから生じるすべて、とくに権力、戦争、愚かさなどを挙げることができる。
『アイズ・ワイド・シャット』では、トム・クルーズ演ずるハーフォード医師は、他のキューブリック作品の登場人物と同じく、体制や教育に囚われていて、彼らの夢や幻想、野心を破壊するような、極端で並外れた状況に直面する。
人間は、スタンリー・キューブリックを魅了する存在であり、彼は、人間のシニカルで分析的で厳しく、冷たい肖像を作り上げ、ほとんどの場合、映画から生かして逃がさない。純粋さあるいは命を失うのである。一般的に、人間には償いや再生の権利がある。そこに、キューブリックの倫理が位置づけられる。
それぞれが、性についての自分自身の見方、つまり自分自身の恐れを持っている。『アイズ・ワイド・シャット』は、それぞれの性についてではなく、個々人が、自らの本能や観念を前にした時に感じる恐れについて語る。それが、彼らには制御できない唯一のものであるかのように感じ、欲望やその他の幻想を支配しようとするのである。
映画の原作であるアルトゥル・シュニッツラーの小説『夢小説』と比べてみると、スタンリー・キューブリックはすべての精神分析的要素を脚本から削除し、シドニー・ポラック監督が演じる、億万長者の謎めいた登場人物を加えた。
トム・クルーズとニコール・キッドマンが、これほど巧みに演技指導されたことはなかった。クルーズが、魅力的で曲がりくねった、彼の意識にとって恐ろしく破壊的な道を行く危険を冒したとすれば、キッドマンは自分の幻想をさまようかのようであり、彼女の視線は、人間の情熱と感情を強烈に表現した。
『アイズ・ワイド・シャット』は多くのテーマにふれている。破壊的な嫉妬、嘘、婚姻制度、カップルの間の信頼などである。
映画の最後のシークエンスは、クルーズとキッドマン演ずるカップルによって想起される性的な欲求不満のあとに訪れる、ある種のオルガスムの爆発である。
キューブリックはあえて、最大のスター(クルーズ)を起用して、母国アメリカに、もっとも強いタブー(性)を突きつけた。彼の視覚的な遺言は、何よりも善悪二元論ではありえない倫理的視点である。
『アイズ・ワイド・シャット』は、人間と、人間に課せられた図式に対する依存を深く分析する。スターが演ずるカップルは、私たちそれぞれの内にあり、また社会に存在する暗い部分を目覚めさせる。1つの社会には独自の規則があり、その暗い部分を管理しようとするのである。
スタンリー・キューブリックの最後の作品は、個人的な遺言であり、そこには、亡くなった映画作家の、思考や原則、哲学的価値が流れている。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2009年11月21日

28日(土)のEU映画研究会:ギリシャ映画の巨匠テオ・アンゲロプロス監督

今月のヨーロッパ映画研究会で紹介する監督は・・・

現代ギリシャ映画の巨匠テオ・アンゲロプロスTheo Angelopoulos

・1936年の日々 *ベルリン国際映画祭国際批評家賞受賞
・旅芸人の記録 *カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞
・アレクサンダー大王 *ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞
・シテール島への船出 *カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞
・霧の中の風景 *ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞
★ユリシーズの瞳 *カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞
・永遠と一日 *カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞受賞

★11月28日(土)18時〜
☆会JR奈良駅近くのスタジオ≪ワルハラ≫
http://www.nara-zenei.com/walhalla/index.html
★会員無料、一般は300円(資料代)【予約不要】

↓Pierreの解説↓
http://eurokn.seesaa.net/article/132789401.html
http://narafr.seesaa.net/article/132243833.html (en francais)
posted by nakai at 14:21| 奈良 ☀| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

『ユリシーズの瞳』(ギリシャ映画、テオ・アンゲロプロス監督、169分、1995年)

映画が、極端に大文字で始まるHistoire(歴史)に言及する時、明らかに、表現の誇張と退屈な仰々しさに足を取られる可能性がある。この理由で、テオ・アンゲロプロスの代表作『ユリシーズの瞳』という映画の筋書きは、1つの典型的な例である。
これは、映画作家Aの物語であり、彼は祖国ギリシャに戻り、バルカン半島を歩きまわろうと試みる。もちろん観光客としてではなく、様々な意味での探索のためである。まずは、映画の記憶を探し出すためである。それは、20世紀初めの、バルカン半島出身のドキュメンタリー映画作家、マナキス兄弟の失われた映画である。彼らは日常生活を記録するために国から国へと駆け回った。ついでに、映画作家は失われた時を求めて、昔の恋とヨーロッパ人としての自らのルーツを探しに行く。
それに伴って、登場人物の心と同様に引き裂かれた大陸のレントゲン写真が、常にスクリーンに映し出される。とくに描かれるのは、バルカン半島での共産主義の失敗であり、その結果90年代初めの旧ユーゴスラヴィアでは、独裁と民族紛争に陥り、セルヴィアのファシズムはボスニア人の虐殺を引き起こした。
アンゲロプロスの虚構が、これら脚本上の要素を単調に展開するだけであったとしたら、これほどまでに心を動かすものではなかっただろう。ところが、『ユリシーズの瞳』は何よりもまず、偉大な思索の映画であり、すでにある思想についての映画ではないからである。これは、荘厳な美しさの物悲しい道筋をたどって動いている1つの心性の物語である。
ホメロスの『オデュッセイア』とユリシーズの伝説に戻り、アンゲロプロスは、人間の冒険と同様、彼の歴史や神との関わりに対する考察を展開する。
 彼は、昔からの要素を積み重ねることにより、物語に神話としての性格を与えている。ドナウ川、破壊された偶像、現代の廃墟などである。彼の映画は壮大な展望である。彼の作品の長さとその道程の地理的な紆余曲折は、現代の叙事詩を構成するという計画を示している。
 Aは、失われたリールの中に何を探すのか?それは人類の歴史に対する原初の無垢な視点である。まるでユリシーズのように、彼のまなざしはすべての人間の冒険を担うことができる。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2009年10月17日

『王妃マルゴ』(フランス映画、パトリス・シェロー監督、160分、1994年)

1572年8月、パリは騒然としている。プロテスタントのナヴァール王アンリ、未来のアンリ4世は、カトリックで、フランスの娘、カトリーヌ・ド・メディシスの娘であり、不安定な王シャルル9世の妹であるマルグリット・ド・フランス、別名マルゴと結婚しようしている。夫婦は愛し合っていない。これはカトリーヌ・ド・メディシスによって御膳立てされた政略結婚である。
カトリックとプロテスタントの間にある憎悪と対立を沈静化すること、さらには、教皇グレゴワール13世、スペイン、プロテスタント諸国の体面に配慮する目的である。
恐怖と敵意、暴力は、結婚式がとり行われたノートルダム教会の中にまで感じられる。マルゴの兄たちは、無遠慮に尊大な態度を見せ、妹との曖昧な関係を隠さない。マルゴは傲慢で気まぐれな王女である。カトリーヌ母后は、娘の結婚式の日に早くも陰謀を企てる。
それぞれの勢力は争いを求め、様々な人物の相反する野心、そしてもちろん王子たちの権力への志向などと一体となった皇太后の不手際は、結婚式のわずか6日後に、恐ろしい虐殺によって国全体を揺るがすことになる。この暗澹たる時期が、マルゴにそれまで彼女が知らなかった概念を発見する機会を与える。利他主義、友情、そして愛である。
パトリス・シェローは滅びゆく時代を描く。断絶しかけているヴァロワ家と、彼らの標的であるナヴァール王アンリが体現するブルボン家が、政治的復活に重要な影響をもたらす。王家は無道徳なマフィアの家族のように描かれている。
『王妃マルゴ』は、歴史映画ではない。それは映画作家の意図するところではない。映画の原作小説の作者デュマのふさわしい後継者として、パトリス・シェローは伝説の不吉な場面に動きを与えようとする。
映画が描くのとは反対に、この時代のヴァロワ朝は輝いており、フランスは数年続いた市民戦争の後で、まさに文化的・政治的ルネッサンスを迎える。プロテスタントの廃れてしまった厳格な世界を前にして、宮廷は、デュマやシェローによって描かれた衰退からほど遠い。
パトリス・シェローは伝説の暗く曖昧な面を描くすべを心得ていた。この不吉な伝説と、映画公開当時、旧ユーゴスラビアで悲惨を極めた身内同士の戦争とが対比して描かれていることが見てとれる。この点について、作曲家としてゴラン・ブレゴヴィッチ(セルビア人の母とクロアチア人の父を持つ旧ユーゴスラビア人)を選んだことは、おそらく偶然ではない。
血と性、暴力が、これほど絵画的なこの映画の主題である。俳優の演技は実に印象的である。イザベル・アジャーニは、犠牲になった王女を演じて見事であり、ジャン=ユーグ・アングラードは狂気で驚かせる。ヴィルナ・リージは恐ろしく、計算高く、吸血鬼じみたカトリーヌ・ド・メディシスを完全に演じている。ダニエル・オトゥイユの抑えた演技もまた忘れてはならない。
『王妃マルゴ』は16世紀のフランドル絵画に似ている。画は素晴らしく、背景の色はくすんでおり簡素である。衣装はきらびやかで、映画作家が見せるルーヴルの光景は斬新である。
シェローは、非常に現代的な、寛容を擁護し、独裁を告発する映画を撮った。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2009年09月19日

映画研究会:特別ゲストにうだしげきさん

日本中がニュースに拍手を送った

第60回カンヌ国際映画祭で審査員特別大賞(グランプリ)を受賞した
奈良出身の 河瀬直美映画監督の 『殯(もがり)の森』

http://www.mogarinomori.com/

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この作品で主演したのは奈良の古書店と古書喫茶の店主
うだしげき(宇多滋樹)さんでした

9月26日(土)の18時からのヨーロッパ映画研究会に
特別ゲストとして
うだしげきさんにお越し頂き、
うださんの好きなヨーロッパ映画についてお話いただきます。

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::今月のテーマ theme of the month::
ジャン=ジャック・ベネックスと≪ベティ・ブルー/愛と激情の日々≫
Jean-Jacques Beineix & "37°2 le matin / Betty Blue"


会場はJR奈良駅近くのスタジオ≪ワルハラ≫
http://www.nara-zenei.com/event/map.html

予約は不要
会費は300円(資料代)です

問い合わせは info@eurokn.com

★ベティ・ブルー/愛と激情の日々37°2 le matinについての
映画研究会会長、Pierre Silvestriのエッセイはこちらにあります。
http://eurokn.seesaa.net/article/128051821.html
http://narafr.seesaa.net/article/128051777.html (en français)
posted by nakai at 15:43| 奈良 ☀| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

『ベティ・ブルー』(フランス映画、ジャン=ジャック・ベネックス監督、180分、1986年)

ゾルグはベティに出会い、そしてそれは盲目的な愛だった。こんな情熱は小説の中にしか存在しない。小説といえばまさに、ゾルグが書いた小説は出版されるべきだと、ベティは確信している。編集者の拒絶が彼女をうつ状態に陥らせたのか?あるいは、身を焼くような彼らの愛に耐えられない者たちの精神の狭量さが原因なのか?ベティは次第に制御不能になる…。
映画には2つのバージョンがあり、完全版(約3時間)は映画の編集に関して長いといえるが、より優れている。映画は、言葉の本来の意味においても比喩的にも1時間を獲得している。なぜなら、付加されたそれぞれの場面が、2人の登場人物を結ぶ破壊的な融和をつちかうのに使われているからである。彼らの物語は激しさを強めている。完全版の『ベティ・ブルー』には、より多くの興奮、幸福、恐れ、絶望と苦しみがある。
1985年に出版された小説家フィリップ・ジアン(1949年生まれ。彼を、ビート・ジェネレーションのフランスにおける後継者と見なす者もある)の作品の翻案である『ベティ・ブルー』が1986年に公開されたことはまさに事件であり、すぐに1つの世代そのものの映画であるという評判を得た。ベティという役柄で、映画で初めて演じた若いベアトリス・ダルのヒステリーと狂気の発作、悲劇的な役割を負ったジャン・ユーグ・アングラード演じるゾルグに対する融和的な愛情、彼らのロマンスの悲劇的な結末、神話的なグリュイッサンの浜辺、俳優たちの祝祭的な共謀などすべてが、感情と反逆を渇望する、若さの情熱と幻想を豊かにしている。テーマ音楽を成功のうちに仕上げたガブリエル・ヤレドの優しい音楽と、オペラの魅力を背景にしている。
2人の若者の愛、世界に2人だけで死ぬまで愛し合う覚悟というのは、おそらく素朴であると見なされるだろうが、彼らが生きている社会において、彼らに欠けているものに対する意識を明らかにする。
ジャン=ジャック・ベネックスは『溝の中の月』(1983)のつらい失敗から立ち直り、演出を穏やかにした。『ベティ・ブルー』の照明は派手であったり形式美にとらわれたりしていない。セットはより簡素で現実的である。それでもやはり、監督の視覚的な才能は常に表現力に富んでおり、とくにグリュイッサンの夏の優しい暑さを描くときに表れている。彼は、うわべだけの視覚効果を捨て去り、とくに感情に興味を抱いているのである。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2009年08月13日

『発禁本‐サド』(フランス映画、ブノワ・ジャコ監督、95分、2000年)

サド(1740〜1814)のイメージはサディズムに帰することが多い。この人物については、とくに、破廉恥な本の数々を書いたことにより、生涯の大部分を監獄で過ごしたことが知られている(もっとも有名な作品だけ挙げると、「閨房の哲学」「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」「ソドム百二十日」)。ほとんど知られていないことは、フランス革命の時期における彼の役割である。ブノワ・ジャコの映画が焦点を当てるのは、このサドの人生の知られざる時期である。
1790年、50歳で国立牢獄から釈放されたサド侯爵は、ロベスピエール率いるla section des Piquesの一員となる。彼は多くの革命的攻撃ビラを執筆する。しかし、彼の貴族の出自と危険な評判により、1793年に再び投獄される。というのも、非常に清教徒的なロベスピエールは「ジュスティーヌ」の著者に対して、まったく同情を抱けなかったのである。
恐怖政治の時期に、様々な監獄で過ごしたサドについては、ほとんど何も証言がない。ジャコと脚本家のジャック・フィエスキは、心ゆくまでフィクションの要素を取り入れることができた。彼らが考え出したのは、サドの愛人マリー=コンスタンス・ケスネ(彼女は1814年の彼の死までそばにいる)がジャコバン派の指導者を誘惑し、恋人が処刑されないようにするという物語である。同様に、サドが投獄を利用して戯曲(彼は、複数の戯曲を書いている)を上演し、拘留された貴族の若い女性に感情的・性的教育を行うというエピソードを創作する。
彼女は、エミリー・ド・ランクリという名の純真な若い女性であるが、旺盛な、見込みのある好奇心を抱いている。サドにとっては手に入れるべき獲物であった。さらには、彼の信念を教え込むための理想的な生徒であった。それは、自由がすべてであり、幸福といわゆる背徳は憎むべきものではなく、むしろ反対であるという信念である。純真無垢なエミリーに対するサドの手ほどきは、ブノワ・ジャコが真の技量と強烈さ、省略法をもって操る場面で実現される。
サドの著作を読み(再読し)、作者をもっと知りたいと思わせるこの映画には、サドの哲学をよりよく理解するための考え抜かれた会話が出てくる。「本能に従いなさい」「実体のない思想も思想のない実態もない」など。
サドに実体を与えるのはたやすいことではない。この役割を果たすためには特に優れた俳優が必要であった。ダニエル・オトゥイユは脚本の執筆段階から承諾していたが、この役柄にふさわしく見事に演じている。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2009年07月25日

私的でそして政治的な映画

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EU協会の映画映画研究会(講師:ピエール・シルヴェストリ)、今月はイタリア出身の
映画監督、ナンニ・モレッティ(1953年〜)エイプリルAprile(1998年)を取り上げてます。

モレッティは脚本も書き、主演もしてして、癖のあるユーモラスな作風で世界的に人気があります。
『エイプリル』は妻の出産・育児と自分の仕事との葛藤をドキュメンタリー風に描いたコメディです。

★≪エイプリル≫AprileについてPierreが語ります。

今晩は(メッシュー=最初の出席者は男だけ)。
7月ですが、4月という名の映画を取り上げます。
イタリアの有名な映画監督、ナンニ・モレッティの作品です。

モレッティは常に公的な生活と私生活の壁をなくした映画を作ってきました。

このエイプリルという作品のテーマの1つは政治です。
ちょうど首相になったべルルスコーニの政治的姿勢への批判が現れています。

とともにモレッティの私生活が取り上げられています。

(ここで女性が登場)あらためて今晩は、メッシュー・ダム。

【続きはPierreの説明をどうぞ】
http://eurokn.seesaa.net/article/123627321.html
http://narafr.seesaa.net/article/123140102.html (en francais)
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2009年07月16日

『エイプリル』(イタリア映画、ナンニ・モレッティ監督、78分、1998年)

1976年以来、ナンニ・モレッティは、彼が「1つの小説の10章」とみなす10の長編映画を監督した。
35年近くの間に、モレッティが語ったイタリア史では、親しい仲間が彼を公的な事柄から引き離し、皮肉と自己嘲弄が誠実で妥協のない世界を描写している。その世界とは、すべてが、ノイローゼのナンニ(1994年の『親愛なる日記』)、政治的なナンニ(1989年の『赤いシュート』、2006年の『Le Caïman(カイマン)』)、一家の父親であるナンニ(『エイプリル』、2001年の『息子の部屋』)などの周りに形成されたものであり、彼もそのことを言明している。「自分から出発して、私は他の人々について語ることができたようだ。」この自己愛的で自立的な映画では、それこそがモレッティの逆の技法であり、他の人々がひしめいている。友人たち、教師の両親、兄、パートナーなどは始めからモレッティの大家族を構成している。
『エイプリル』は、ザッピングの、不規則な、ヒップホップのフラクタルを取り入れている。この映画は、かろうじて進展し、疑いや批判、立ち往生、後退、急な進路変更、省略などによって運ばれる。
『親愛なる日記』(1994)の小説の後で、この作品は、日にちやページの偶然にしたがって、なぐり書きされたメモ帳であり、直感や思考のままに乱雑に書かれ、抹消された下書きノートである。予測不可能で壊れたように見えるが、『エイプリル』は、理解するには明快な映画である。
1つ目の理由は、明らかにモレッティ本人の人柄と滑稽な身体、いつものユーモラスな機知による。『エイプリル』はどの方向にも進むことができ、止まることも、回り道をすることもできる。モレッティの身体は、ブイのように、常に重心をなし、遍在する固定点であり、すべての自由を可能にする構造化の中心である。
2つ目の理由は、非常に単純でしかも確かな、映画の隠された構造による。『エイプリル』の見た目の無秩序は、3本の赤い糸によって秩序立てられている。それは、モレッティの息子の誕生、イタリアの国民議会選挙、監督の映画の企画である。
こうして、再び『親愛なる日記』の3つのモチーフが見られる。モレッティの3つのおもな興味の中心である、私的な領域、社会的・政治的領域、その2つの間にある映画の領域である。この作品では、この3枚のカードで代わる代わる切るのではなく、モレッティはそれらを常に混ぜ合わせる。3つの領域は、お互いにしっかりとはめ込まれている。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2009年06月27日

今月の映画研究会:日常生活での映像

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今月もピエールが語ります。
その一部をノートしてみました。

「今月の映画はフランス=オーストリア合作です。
今年のカンヌ映画祭でパルムドール(最高賞)を獲得した優れた監督なので
ハネケと特に『隠された記憶』Cacheを紹介みたいと思います。

この映画では映像とは何か、私たちの生活の中で映像がどのような役割を占めているか
を強く語りかけています。

ゆっくりとした演出で、その中で緊張感がミステリアスに充ちています。
一方で平凡な日常を描きながら、過去のアルジェリア事件をテーマとして
扱っていて、何百人もの虐殺を行った将軍が3人しか死者が出なかったいい、
たと言っているが、証拠映像が残っているにも関わらず裁判所がその映像を
証拠として取り上げなかったことをこの映画では問題視しています。

過去の大きな歴史的事件がいかに現在に関わってくるか、そして未来にも
関わってくるかを監督は語っています」

-----------

後半はミシェル・ハネケ監督の生い立ちから始め、この2005年の謎に満ちた
作品をいくつかのテーマによって解説、紹介されました。

結局謎は解決されないのですが、それは問題ではなく、世界に溢れる問題謎が掛けれれ、その謎
の解決を観客に預けていることを、ピエール自身

ピエールの説明はこちらにあります。
http://eurokn.seesaa.net/article/121963643.html
http://narafr.seesaa.net/article/121965057.html (en francais)
posted by nakai at 22:54| 京都 ☁| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

『隠された記憶』(フランス・オーストリア映画、ミヒャエル・ハネケ監督、115分、2005年)

『隠された記憶』は他の映画よりもさらに、映像が、いかに映画の素材であり主題であり得るかということを明らかにしている。ミヒャエル・ハネケはこの極端なリアリズムの、緻密なフレーミングと長い固定ショットを使った作品で見せている。これらはすべて、奇妙な陰謀の恐ろしい緊張に貢献しており、個人の物語を集団の歴史の正面において、問いかけることを可能にしている。
 ミヒャエル・ハネケの映画について、その強烈な内容についてのみコメントするとしたら容易なことだろう。たとえ、この作品では、最後の部分で映画に衝撃を与える、呆然とさせるような電気ショックにもかかわらず、暴力ははっきりと現れることなく、潜在的であるとしてもである。『隠された記憶』は物語と視覚の原則を内包しており、安全から離れてしまうことによって試される世界では、残酷さは画面外からやってくる。
 暴力には名前がなく、監督は、それを、楽しげであいまいなエピローグの中に置かないようによく気をつけている。危険はどこでもないところからやってくる。入口の扉の後ろから、夕食のときに語られる単なる冗談から、そして私たちを取り巻く世界からやってくる。ハネケは特徴的な冷静さをもって、ダニエル・オトゥイユ(主人公ジョルジュ)とジュリエット・ビノシュ演ずるスターの夫婦を通じて、小宇宙的社会を詳細に検討する。そこでは、危険は常にあるもので、攻撃的で耐えがたいニュースを私たちに浴びせかけるテレビによって強められており、秘密の、歴史(アルジェリア戦争)に結びついた傷跡は40年たって再び開く。映像理論家であり、社会の客観的な分析家であるこのオーストリアの映画作家は、いつも歴史を物語に結びつける。 その方法は視覚的で知覚的であり、たとえば『ファニーゲーム』では、家族の変動をナチスの強制収容所の恐怖に結びつけた。ここではイラク、アフガニスタンについてであるが、その根底に隠された陥穽のようにあるのは、1961年10月に、200人の〈アルジェリアのフランス人〉をモーリス・パポン率いる警官隊が溺死させたということである。彼らは、子供や孫たちが数十年たってからもその責任に取りつかれる亡霊なのだろうか?子供の時、ジョルジュが同じ部屋に住んでいた、アルジェリア人少年の両親に降りかかった悲劇の責任を負うのは誰なのだろうか?
ジョルジュの家を正面から映した長時間にわたるビデオテープの送り主は誰だろうか?道の往来や家族の行き来する様を撮影したカメラはどこにあるのだろうか?誰かが、名前も要求もなしにジョルジュにだけ荷物を送ったのは、彼を恨んでのことだろうか?時に血まみれの絵が添えられているこれらテープの謎めいた送り主は何を得ようと望んでいるのか?これらの疑問は、警察が介入を拒否したことにより、恐怖を一層煽り立てる。こうした問いに満ちていながら、『隠された記憶』は最終的に観客に何ら答えを与えない。この映画の中心となるのは別の部分であり、演出の隙間にあるのである。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 23:01| 京都 ☁| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

シネクラブ:≪隠された記憶≫

毎月第4土曜日の18時から
NPO法人京都・奈良EU協会では
「ヨーロッパ映画研究会」の例会を開催しております

当会理事でヴィデオ・アーチストのピエール・シルヴェストリPierre Silvestriが
ヨーロッパ各国のいろんな映画、映画監督の解説をしていますが
映画、特にヨーロッパ映画に関心のある人はぜひオススメです

080524-203157.jpg 080524-203208.jpg

いままで彼が解説した映画(監督)はこちら

ピエールの解説のあとには質疑応答があり、
これもいろんな国の言葉(おもに日本語、フランス語、英語)が
かわされることも

次回の研究会は6月27日(土)18時から
ドイツ〜オーストリアの映画監督
ミヒャエル・ハネケ(Ingmar Bergman、1942年ドイツ・ミュンヘン」生)、
特に≪隠された記憶≫Caché(2005年)を取り上げます


問い合わせmail toinfo@eurokn.com
資料代メモ300円(会員無料)


ピエールの≪隠された記憶≫についての解説(フランス語)はこちら
翻訳はこちらに掲載予定

場所はJR奈良駅近くのスタジオ≪ワルハラ≫にて
http://search.pia.jp/pia/venue/venue_access_map.do?venueCd=NWHL

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2009年05月23日

ヨーロッパ映画研究会例会:タルコフスキー Cinema Club:Tarkovsky

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ピエール・シルヴェストリが語る、その言葉の一部。
はじめてソ連の映画を取り上げる。
中でも有名なタルコフスキーを取り上げる。
神秘主義者。
ベイルマン、ブレッソン、黒沢明等々、さまざまな映画監督から影響を受け、
ロシア人であるが外に目を向けている。
正教徒であるが汎神論的な立場を取る、それはギリシャ人のようにあらゆる
場に「神」を見る。
一方でドキュメンタリー的な要素、幻想的な要素も。

詳しくはこちらをごらん下さい。
http://narafr.seesaa.net/article/119204543.html
http://narafr.seesaa.net/article/118906276.html (en francais)
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2009年05月12日

『鏡』(ソ連映画、アンドレイ・タルコフスキー 監督、110分、1974年)

7本の長編映画で、ソ連で活動する〈ロシアの〉映画監督アンドレイ・タルコフスキーは、映画を、彼の思想や世界に対する視点を表現することができる、まったく新しい物語の型とひとつの美学に至らせる、卓越した作品を作り出した。完全であることに対する欲望は、一人の芸術家の並はずれた映画の緻密さにぶつかるが、そのために、彼は絶えず敵意をもった当局と折り合いをつけなければならず、亡命生活を強いられた。
『鏡』では、アリョーシャという存在にとって主要な登場人物や事件は、混乱した記憶の洪水の中で現れる。若く美しい彼の母は、祖父の家の前で待っている。父は家族のもとを去り、日暮れ時に読まれる詩の中で存在し続ける。子供は激しい嵐と、つづいて隣家の納屋の火事に出会う、などである。
30年後、アリョーシャは母に電話をかける。彼は数日前から病気である。昔の父のように、かれも妻のナタリアと息子のイグナートから気持が離れている。
個人的な記憶は心によみがえるが、主な歴史的事件は記録フィルムの形で復活する。スペイン戦争、第二次世界大戦末期のベルリン陥落、紛争後のモスクワでの祝勝会などである。アリョーシャは、どのように銃の扱い方を学んだのか、1937年に印刷所で働いていた彼の母が、公文書の誤植を見逃したと思い、どのようにパニックに陥ったかを再び見るのである。
『鏡』のテーマは、記憶のイメージに結びついた感情である。タルコフスキーは映画をとらえがたい記憶というものの素材、そして自らの記憶の素材をもとに構成した。彼はそのことを隠してはいない。「2つの世代の運命は、現実と記憶の出会いによって交錯する。映画の中で詩が聞こえる父の記憶と私自身の記憶である。映画の中の家は私たちの家の正確な再現で、もとの家の跡地に建設された。その点ではドキュメンタリーであるといえるだろう。戦争中のニュース映像の数々や、父から母にあてた何通ものラブレターなどは、私の人生の歴史を形成する資料である。」
監督はまた、自身の個人的な記憶の中に、ロシア国民の集団の記憶を組み入れる。記憶を想起する過程は、この視点の多様性の上に成り立っている。集団の記憶は、つねに、語り手の個人的な歩みから始まり、動き始める。アリョーシャの子供時代の光景は、白黒の戦争に関する資料映像によって区切られ、彼の妻の映像は、スペイン戦争についての衝撃的な短い資料映像によって活力を与えられている。映画作家は、ロシア国民全体の苦しみを、自らの傷ついた意識に付け加えている。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2009年04月25日

ヨーロッパ映画研究会:ミケランジェロ・アントニーニMichelangelo Antonioni

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ヨーロッパ映画研究会(代表&講師:ピエール・シルヴェストリPierre Silvestri)、
今月はイタリア中部フェラーラの生まれ(1912年〜2007年)の
ミケランジェロ・アントニオーニMichelangelo Antonioni監督がテーマです。

アントニオーニ監督の代表作の一つ≪欲望≫Blow-upについての
Pierreの紹介文はこちらにあります。
http://eurokn.seesaa.net/article/117431935.html
http://narafr.seesaa.net/article/117432034.html (en francais)
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2009年04月17日

映画研究会:ミケランジェロ・アントニオーニ監督(イタリア)

ヨーロッパ映画研究会(講師:ピエール・シルヴェストリPierre Silvestri)、
今月はイタリア中部フェラーラの生まれ(1912年〜2007年)の
ミケランジェロ・アントニオーニMichelangelo Antonioni監督を取り上げます。

アントニオーニ監督と言えば、1960年代に3大映画祭(カンヌ、ヴェネチア、ベルリン)すべて
で「最高賞」を受賞しています。
≪夜≫La notte (1961年) ベルリン国際映画祭金熊賞
≪赤い砂漠≫Il deserto rosso (1964年) ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞
≪欲望≫Blow-up (1966年) 第20回カンヌ国際映画祭パルム・ドール

今月は≪欲望≫Blow-upを中心にピエール(通訳付)が解説します。

【日時】4月25日(土)18時
【会費】京都・奈良EU協会会員は無料、一般は300円(資料代)
【会場】奈良市三条本町スタジオ≪ワルハラ≫
【お問合せ】info@eurokn.com

サンホテル奈良↓の南側(「キッチンまま」)の角(コーラの自販機)の道を南へ。
http://www.sunhotelnara.jp/access/index.html
「ワタナベウェディング専用駐車場」の看板の裏側の白い四角いビルの2階です。
近鉄奈良駅からは市内循環バス(内回り)でJR奈良駅か三条川崎町下車。
松屋の角を入ります。

★≪欲望≫Blow-upについてのPierreの紹介文はこちらにあります。
http://eurokn.seesaa.net/article/117431935.html
http://narafr.seesaa.net/article/117432034.html (en francais)

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2009年04月14日

『欲望』(イギリス映画、ミケランジェロ・アントニオーニ監督、110分、1966年)

1966年ロンドン、トーマスは裕福で有名な、若い服飾カメラマンで、
都市の貧困についての写真集を準備している。彼は、自分の技術に
よって現実をとらえる事ができると信じている。ある午後、モデル達に
飽きた彼は、気分転換のためにマリオン・パークに出かけ、隠し撮りをする。
何枚か、ひと気のない自然の美しい写真を撮ったあと、彼は、レンズの
フレーム内に、ひと組のカップルをとらえる。

女性が彼に気づき、近づいて来てネガを渡すよう神経質に要求する。
それどころか奪い取ろうとさえする。しかし、トーマスは、フィルムには、
まず現像しなければいけない仕事の写真も入っているからと拒絶する。
ネガを調べるに従って、彼は、知らずに殺人を撮影してしまい、同時に、
邪魔な目撃者になってしまったことに気づく…。

2ヶ月で書きあげられ、ロンドンで1966年4月から8月にかけて6週間で撮影され、
1ヶ月で編集が行われたミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』は、
1967年5月、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞する。この脚本を
書くにあたって、アントニオーニは、アルゼンチンの著名な小説家で、
定期的に幻想文学に接近するフリオ・コルタサル(1914〜1984)の小説に
着想を得て、デヴィッド・ヘミングス演ずるカメラマンだけを残した。
この作品は、アントニオーニがイタリア国外で撮った初めての映画であった。

原題の“Blow-Up”の意味の豊富さは、題名の元になった自動詞にすでに
含まれている。〈to blow up〉には、「破裂する」、「爆発する」、「膨らむ」、
「写真を引き伸ばす」さらには、「お説教する、叱責する」などの意味がある。
この語源の豊かさが、映画の深い力強さを参照させる。

トーマスがある種の息苦しさを感じながら生きている、はかなく絶望的な世界は、
写真の現像と引き伸ばしに続いて爆発する。彼は、鏡を通じて外見の向こう側に
行き、彼がまさしく殺人を撮影したのだという確証を得る。その時から、彼は
見てはならないものを見、目撃者となってはならない事柄の目撃者になったこと
をも理解する。しかし、彼の証人になりたいという欲求は、一方では自分自身の
恐怖に(彼のアパートが荒らされる。彼が目撃者であることは知られている)、
もう一方では友人や知人の奇妙な無関心に遭遇する。有名な最後の模倣の場面で、
彼は物語の初めに出会ったグループに再び出会う。そして、この最後の場面は、
啓示の感覚をもたらすのである。現実は表現の中に消滅する。このような表現が
あるグループに興味を抱かせるならば、それは存在する。そうでなければ、その
表現は何も参照させないのである。『欲望』は1967年のイギリス社会に対する
絶対的な倫理的批評として見ることができる。トーマスは孤独で社会の周辺にいる。
彼は脅かされ、おびえ、自分自身の世界の非人間性を恐れている証人を体現している。
この映画は、現代社会を特徴づける奥深い孤独というものを、心のうちで叱責している。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
posted by Pierre at 03:15| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月11日

戸田彬弘監督(25歳)を迎えて

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奈良町での世界の映画人を囲むワークショップで河瀬直美監督から
奈良の若い映画作家を紹介されました。
画製作団体チーズfilmの戸田彬弘(あきひろ)監督(1983年生まれ)です。
http://cheesefilm.com/

NPO法人前衛映画祭実行委員会と共催で戸田監督を迎えて、
お話を聞きながら映画を鑑賞、あとで監督を囲んで話し合いました。

集まったメンバー(老若男女)に深い印象を与えて、一人一人が
それぞれの感動を語りました。

【日時】4月11日(土)18時〜21時過ぎ
【会場】奈良市三条本町(JR奈良駅南)のスタジオ≪ワルハラ≫
【内容】@戸田彬弘(あきひろ)監督の話
A『花の袋』(戸田監督作品)上映
B監督を囲んで話し合い

---------------------------

【戸田彬弘(あきひろ)監督について】
http://cheesefilm.com/staff.html
奈良県大和郡山市出身。83年生まれ。
近畿大学演劇芸能専攻(現、舞台芸術専攻)14期生。
映画制作団体「チーズfilm」代表。脚本、監督、撮影、編集を担当。
映画活動の他、演劇、作家、俳優としても活動している。
・第八回IMF入賞作「失われた時を求めて」(2004年/90分)
・第七回JCF映画祭ノミネート作「歩行する季節」(2005年/152分)
・第九回IMFルーザースラウンド選出作「ヒメオト」(2006年/39分)
・全国ロードショー作品、奈良県後援映画「花の袋」(2008年/148分)がある。

【「花の袋」について】
http://hana.cheesefilm.com
24歳という若さで奈良県、奈良市観光協会、平城遷都1300年記念事業協会などが
後援につくという自主映画では異例の企画として奈良だけでなく、
関西、関東と大きく取り上げられ評価を得た。
文化遺産である建物に人が住んでいたり、古屋や町屋が立ち並ぶ路地を
高校生が通学路として使用していたり、奈良ならではの光景が多く見られる。
そんな奈良を背景に描かれる。時代を象徴する存在とも言える高校生。
撮影は奈良の美しい四季をそのまま切り取るために一年を費やして行われた。
前作『ヒメオト』のリメイクであり、同時に続編でもある本作はただの恋愛映画ではなく、
恋愛を支えながら人と人との交流を描いた人間味あふれる至極の群像劇となった。
ただ存在するだけで他人を傷つけてしまう。そしてまた自分も他人に傷つけられている。
しかし、それでも懸命に前に進もうとする人間の本来あるべき姿を描いている。
誰もが経験したであろう学生生活だからこそ、この映画には忘れてはいけない
十代の大切な気持ちが溢れ出している。
観たあとに初恋の人を思い出したり、卒業アルバムを開きたくなるような、
どの世代にもどこか懐かしい印象を与えてくれる映画である。
posted by nakai at 22:25| 京都 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月31日

4月11日(土)に戸田彬弘監督を迎えて

奈良町での世界の映画人を囲むワークショップで河瀬直美監督から
奈良の若い映画作家を紹介されました。
画製作団体チーズfilmの戸田彬弘(あきひろ)監督(25歳)です。
http://cheesefilm.com/

NPO法人前衛映画祭実行委員会と共催で戸田監督を迎えて、
お話を聞きながら映画を鑑賞、あとで監督を囲んで話し合います。

【日時】4月11日(土)18時から
【会場】奈良市三条本町(JR奈良駅南)のスタジオ≪ワルハラ≫*
【会費】無料
【内容】@戸田彬弘(あきひろ)監督の話
A『花の袋』(戸田監督作品)上映
B監督を囲んで話し合い
【問い合わせと申込み】info@eurokn.com

*サンホテル奈良↓の南側(「キッチンまま」)の角(コーラの自販機)の道を南へ。
http://www.sunhotelnara.jp/access/index.html
「ワタナベウェディング専用駐車場」の看板の裏側の白い四角いビルの2階です。
近鉄奈良駅からは市内循環バス(内回り)でJR奈良駅か三条川崎町下車。
松屋の角を入ります。

---------------------------

【戸田彬弘(あきひろ)監督について】
http://cheesefilm.com/staff.html
奈良県大和郡山市出身。83年生まれ。
近畿大学演劇芸能専攻(現、舞台芸術専攻)14期生。
映画制作団体「チーズfilm」代表。脚本、監督、撮影、編集を担当。
映画活動の他、演劇、作家、俳優としても活動している。
・第八回IMF入賞作「失われた時を求めて」(2004年/90分)
・第七回JCF映画祭ノミネート作「歩行する季節」(2005年/152分)
・第九回IMFルーザースラウンド選出作「ヒメオト」(2006年/39分)
・全国ロードショー作品、奈良県後援映画「花の袋」(2008年/148分)がある。

【「花の袋」について】
http://hana.cheesefilm.com/http://hana.cheesefilm.com/
24歳という若さで奈良県、奈良市観光協会、平城遷都1300年記念事業協会などが
後援につくという自主映画では異例の企画として奈良だけでなく、
関西、関東と大きく取り上げられ評価を得た。
文化遺産である建物に人が住んでいたり、古屋や町屋が立ち並ぶ路地を
高校生が通学路として使用していたり、奈良ならではの光景が多く見られる。
そんな奈良を背景に描かれる。時代を象徴する存在とも言える高校生。
撮影は奈良の美しい四季をそのまま切り取るために一年を費やして行われた。
前作『ヒメオト』のリメイクであり、同時に続編でもある本作はただの恋愛映画ではなく、
恋愛を支えながら人と人との交流を描いた人間味あふれる至極の群像劇となった。
ただ存在するだけで他人を傷つけてしまう。そしてまた自分も他人に傷つけられている。
しかし、それでも懸命に前に進もうとする人間の本来あるべき姿を描いている。
誰もが経験したであろう学生生活だからこそ、この映画には忘れてはいけない
十代の大切な気持ちが溢れ出している。
観たあとに初恋の人を思い出したり、卒業アルバムを開きたくなるような、
どの世代にもどこか懐かしい印象を与えてくれる映画である。

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2009年02月21日

『叫びとささやき』(スウェーデン映画、イングマール・ベルイマン監督、90分、1972年)

『叫びとささやき』の中では、すべてが的確で、痛ましく、心から離れない。シークエンスは次々と続き、私たちにトラウマのように、あるいは真実を表すからこそ、どんなに過酷であっても忘れることのできないイメージのように刻み込まれる。
病気の苦悩、弱さや苦しみを知っている者は、最初の場面の冷酷な的確さに驚かされる。アグネスが目覚めると、彼女の顔に、まるで苦しみが彼女の思い出を覆うように、少しずつコントラストがつけられる。わずかの間、和らげられ、遠ざかり、そして追い払うことのできない明白さのように少しずつ広がるというものである。このショットは信じられないほど強烈であり、ベルイマンがいつも用いる暗示の手法がふんだんに使われている。彼は、苦しみを見せるよりも、恐ろしいまでの巧みさで、感じさせるのである。
振子時計のチクタクという音が聞こえ、時間は、初めから痛ましく流れ去る。一秒一秒が弱まる息づかいであり、ひとつひとつの言葉は奇妙な反響をともなう。その言葉を発するのはこれが最後かもしれないからである。そして同様に、話し、思い出し、冷静になることのできる休息の時がある。
この映画の中では、すべてが特別の響きを持っている。残り少なくなる時間に対する感覚は、『叫びとささやき』との間に多くの共通点を持つ『沈黙』(1963)の中でも、すでに目立っている(閉じられた空間、床についた病人、死が近づいていること)。
ハリエット・アンデションは強い印象を与える。彼女は、不安定な小康状態を巧みに感じさせ、息がひゅうひゅうと音を立てたり、恐ろしい痛みに叫びをあげたりする時、彼女は、耐えがたい、激しい苦しみの中にあり、とても痛ましい。
『叫びとささやき』は、常に不安な圧迫感の中にあり、非常に心を乱される。壁は血のように鮮烈な赤色の壁紙をはられているため、病気と長い臨終を忘れることはできない。フラッシュバックによって、この閉じこめられた空間を離れる時でさえ、一息つくことはできない。フラッシュバックは情け容赦なく、3人の姉妹を激しい日差しのもとに現れさせるのである。
こうして、慰めになったかもしれないアグネスの少女時代の思い出は、彼女のメランコリーと、母親の冷たい距離を思い起こさせる。リヴ・ウルマン演ずるアグエスの妹マリアは、穏やかな美しい様子をしているが、彼女の昔の恋人が、優しさを装った仮面の下の、冷酷さ、臆面のない態度、無関心を露わにしたときの、つらい事件を思い出す。彼女もまた、より狡猾なやり方で、アグネスのそばにいることを最も耐えがたく感じており、逃げ出すこと、共通の臆病な態度の中に隠れることを望んでいる。
イングリッド・チューリン演ずる、姉カーリンの冷淡さは、混乱した複雑な性質を隠している。私たちが彼女の過去を訪れるとき、彼女は極端に厳格な夫の前で自傷行為をする。彼女は、臨終の苦しみにあまり近づかずに受け入れ、そっけなく、優しさを欠いた態度で、実際的な細々とした事柄を取り仕切る。
召使のアンナだけが、病人を腕に抱き、温かい抱擁を与えることによって、わずかな慰めをもたらす。この単純で動物的な接触だけが、最も大きな苦しみを一時、和らげることができる。アンナは病人を胸に抱きしめ、キスをする。しかし、アンナは、すべてを満たす苦しみから逃れることはできず、彼女の思いやりや優しさ、献身に対して、敬意を払われることも一切なく、それどころか軽蔑される。
苦しみは、常に影のように、すべての場面に付きまとう。死ですらもアグネスを解放しない。アンナの夢を使って、犠牲者は怯える姉妹たちに触れようとする。病人が亡くなった直後に、牧師の恐ろしい祈りの場面がある。牧師は、神が病人のために見つけた尊厳、つまり、病人が、臨終によって抱いた疑いや、深刻な精神的危機について告白する前に、かくも大きな苦しみを恩恵として与えたこと、思い出させるのである。
 マリアは、油断できない優しさによって、すべてにおいて頑固な姉を味方にすることに成功する。しかし、喪の悲しみのショックが過ぎ去ると、性格は元のとおりになる。マリアの優しさは、良心の見せかけにすぎず、カーリンは、錯乱の時には、あえて抱いていた優しさを、押し殺さざるを得ない。
 『叫びとささやき』では、苦しみと死は過ぎ去る。この危機によって、精神は明らかにされ、かき乱され、露わにされる。それは、快適さや見せかけ、再び始まる生活においては習慣的な偽善に逃げ込む前の、人々の本当の心理についての唯一の自白剤である。イングマール・ベルイマンだけが、これほど並はずれた、悲痛な同一化を引き起こし、私たちを、自らの私生活とその秘密に陥れ、私たちを自らの臆病さ、内奥の性質に向き合わせ、これほど的確に、私たちの暗部を探ることができるのである。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原 万友美)
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2009年02月17日

ヨーロッパ映画研究会例会

毎月(基本的には)第4土曜日の18時から
NPO法人京都・奈良EU協会では
「ヨーロッパ映画研究会」の例会を開催しております

当会理事でヴィデオ・アーチストのピエール・シルヴェストリPierre Silvestriが
ヨーロッパ各国のいろんな映画、映画監督の解説をしていますが
映画、特にヨーロッパ映画に関心のある人はぜひオススメです

080524-203157.jpg 080524-203208.jpg

いままで彼が解説した映画(監督)はこちら

ピエールの解説のあとには質疑応答があり、
これもいろんな国の言葉(おもに日本語、フランス語、英語)が
かわされることも

次回の研究会は2月28日(土)18時から
スウェーデンの映画監督
イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman、1918年7月14日生)、
特に≪叫びとささやき≫Viskningar och rop(1973年)を取り上げます


問い合わせmail toinfo@eurokn.com
資料代メモ300円(会員無料)


ピエールの≪叫びとささやき≫についての解説(フランス語)はこちら
翻訳はこちらに掲載予定

場所はJR奈良駅近くのスタジオ≪ワルハラ≫
こちらのサンホテルの南側です
地図はこちらをクリックしてください
「キッチンまま」の角(コーラの自販機)の道を南へ
「ワタナベウェディング専用駐車場」の看板の裏側のビルの2階です
近鉄奈良駅からは市内循環バス(内回り)で三条川崎町下車
松屋の角を入ります
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2009年01月30日

河瀬直美監督の通訳を

いつものヨーロッパ映画研究会のスタッフは
カンヌ映画祭でグランプリを受賞した奈良出身の映画監督
河瀬直美さんの通訳に行ってきました

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フランスのプロデューサーとの新作の打ち合わせのためです
いや〜映画つくりは大変ですがエキサイティングexclamation×2

来週もカンヅメでやることになりました
仕事を休んで駆けつけるスタッフも…

そこに殯(もがり)の森に主演したうだしげきさんも寄られました
うださんは当会のヨーロッパ映画研究会にときどき来ていただけます
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2009年01月24日

ピエール、ポルトガル映画を語る!Cinema Club

厳寒の土曜日です
JR奈良駅近くのスタジオ≪ワルハラ≫で
ヨーロッパ映画研究会)の今年最初の例会がおこなわれています

語るのは当会理事で
奈良前衛映画祭副理事長のピエール・シルヴェストリ

今月のテーマはポルトガル映画、マノエル・ド・オリヴェイラ監督です
特に1999年の『クレーヴの奥方』が中心

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写真は通訳の万友美さんとピエール
寒くてストーブ(おかげで温かい)にあたるスタジオのオーナーの中室新治氏
奈良前衛映画祭実行委員会理事長の斎藤雄久氏

★この映画についてのPierreの紹介文はこちらにあります
http://eurokn.seesaa.net/article/112687043.html
http://narafr.seesaa.net/article/112244171.html (en francais)
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2009年01月21日

ヨーロッパ映画研究会例会

毎月(基本的には)第4土曜日の18時から
NPO法人京都・奈良EU協会では
「ヨーロッパ映画研究会」の例会を開催しております

当会理事でヴィデオ・アーチストのピエール・シルヴェストリPierre Silvestriが
ヨーロッパ各国のいろんな映画、映画監督の解説をしているのです
その熱弁はまさに圧倒的で
映画、特にヨーロッパ映画に関心のある人はぜひオススメです

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いままで彼が解説した映画(監督)はこちら

ピエールの解説のあとには質疑応答があり、
これもいろんな国の言葉(おもに日本語、フランス語、英語)が
かわされることも

次回の研究会は1月24日(土)18時から
ポルトガルの映画監督
マノエル・ド・オリヴェイラ(Manoel de Oliveira、1908年ポルト生まれ)
の特に≪クレーヴの奥方≫La Lettre (1999年)を取り上げます


問い合わせmail toinfo@eurokn.com
資料代メモ300円(会員無料)


ド・オリヴェイラは現役の劇映画監督としては(たぶん)最高齢(100歳!)
本格的に作品を創り上げるようになったのは60歳を過ぎてからと大器晩成の代表格

ピエールの≪クレーヴの奥方≫についての解説はこちら(日本語en francais

場所はJR奈良駅近くのスタジオ≪ワルハラ≫
こちらのサンホテルの南側です
地図はこちらをクリックしてください
「キッチンまま」の角(コーラの自販機)の道を南へ
「ワタナベウェディング専用駐車場」の看板の裏側のビルの2階です
近鉄奈良駅からは市内循環バス(内回り)で三条川崎町下車
松屋の角を入ります
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2009年01月16日

『クレーヴの奥方』(ポルトガル映画、マノエル・ド・オリヴェイラ監督、105分、1999年)

マノエル・ド・オリヴェイラ監督の作品は、非常に多様である。それは、彼のキャリアが70年にわたり、無声映画の時代に始まって、様々な政治や完全に異なった製作環境を経験したためである。たとえば、初めてのネオレアリズム作品であると見なされることもあった、1942年の『アニキ・ボボ』のような映画と、すぐれて詩的・文学的なテキストの華麗さを高めながら、スタジオ製作の映画に没頭した『繻子の靴』(1985)のような作品の間に何か共通点があるだろうか?
 それにも関わらず、オリヴェイラ監督のすべての作品に、同じ本質的テーマを見つけることはたやすい。それは、ミステリーである。彼の映画はすべて、見ず知らずの女性や、1つの大きな疑問符、観客を創造の不思議、あるいは単に生の謎に立ち戻らせるミステリーを巡るものである。人間の謎と、人間が地上に在ることの不思議、自らの情熱や狂気、エゴイスム、虚栄心と戦う人間の謎である。オリヴェイラ監督が倦むことなく立ち戻るのは、男女の間に交わされる終わりのない戦いと、復活だけがおそらく意義を与えることができる人生の不安である。それはまた、神の謎でもある。
この映画の最も驚くべき一面は、おそらく文学がもたらす魅惑であろう。マノエル・ド・オリヴェイラ監督のフィクション作品はすべて(1997年の『世界の始まりへの旅』を除く)、文学作品をもとにするか、あるいは文学的なレファレンスが重要な位置を占めている。言葉は何にもまして思想を伝える媒体だからである。作家のテキストを映画化することは、オリヴェイラ監督にとっては、そのテキストが彼に及ぼした動揺を表現するだけでなく、それが内包する真実を掘り下げ、その固有の豊かさを感知できるようにすることである。オリヴェイラ監督が興味を抱いた物語を語るのではなく、それを理解して、その本質に到達するのである。

『クレーヴの奥方(原題:手紙)』で、マノエル・ド・オリヴェイラ監督は、1678年に書かれた、ラファイエット夫人の「クレーヴの奥方」を、現代を舞台に映画化した。この作品を含めて4度目の映画化であり、フランス文学における初めての近代小説と見なされている。類まれな美貌の、貴族の若い女性が、愛していない男性と結婚し、他の男性を愛するようになる。しかし、夫の死後も彼を拒んで信仰に生きた後、1人で人生を終える。この物語は、誰もが知っているかあるいは聞いたことがあるものである。
『クレーヴの奥方』は、ある種の「試験的映画」であり、小説の始祖ともいうべき作品と、それを知っていると考えるあまり、忘れてしまった時代とを対峙させているのである。距離を無くそうとするのではなく、それを掘り下げ、深い穴の底で映画を作る。2つの岸を結ぶための橋を建設するのではなく、むしろ、2つの岸に交互に目を配ることによって、映画にそれらを引き寄せる。ロープは目に見えるが曲芸師はいないのである。『クレーヴの奥方』は翻案ではなく、むしろ、緩燃焼のための導火線を備えた、緊迫した対面なのである。
 マノエル・ド・オリヴェイラ監督は、2008年のカンヌ国際映画祭の際、100歳で初めてのパルム・ドールを受賞した。それは、彼の作品すべてに対して贈られた賞であった。彼の、映画を撮りたいという欲求は今も変わらない。2008年11月末、彼はポルトガルの19世紀の作家、エッサ・デ・ケイロスの物語の翻案である『Singularités d'une jeune fille blonde(ある金髪女の奇行)』の撮影を開始した。ある時、彼がはっきりと述べたとおりである。「仕事をやめるというのは死ぬことです。もし映画を取り上げられたら、私は死ぬでしょう。」

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2009年01月06日

年末のヨーロッパ映研の打ち上げ

昨年の12月27日(土)のヨーロッパ映画研究会の打ち上げの様子です
女性メンバーに囲まれたスタジオのオーナーの中室新治氏
仙台から駆けつけた寺本成彦氏(東北大准教授)
主宰者のピエールPierre Silvestriと語る
奈良女子大学文学部の三野博司教授(フランス現代文学)…

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撮影は本日のラジオ放送でゲストに出演していただいた佐野雄二さん
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2008年12月27日

寺本成彦東北大准教授を迎えてEU映研例会

JR奈良駅近くのスタジオ≪ワルハラ≫で
ヨーロッパ映画研究会今年最後の例会が行われています

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ゲストに寺本成彦東北大学准教授夫妻が来られています

寺本さんは19世紀のフランスの作家ロートレアモンが専門で
映像関係の講義も担当
アリアンス・フランセーズ仙台のシネクラブも主宰しています

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関西在住のおりも、
第1回奈良名作映画祭のプレゼンターと通訳をつとめる等
映画関係の活動をされていました

旧友である当会講師のピエール・シルヴェストリPierre Silvestriとも
ひさびさに再会
ピエールは本日のレクチャーを
アキ・カウリスマキAki Kaurismaki監督を愛する寺本さんに捧げると宣言
ただいま(いつもの)熱弁をふるっているところです

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このあと出席したメンバーを含めての交流会が
会場の「ワルハラ」で行われる予定です

交流会については近日このページで紹介します
posted by nakai at 20:46| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月24日

今年のヨーロッパ映画研究会のプログラム Listing of the Cinema Club 2008

さて、昨年12月にスタートしたNPO法人京都・奈良EU協会ですが
中心メンバーの一人、ピエールPierre Silvestriの主宰により
毎月第4土曜の夜≪ヨーロッパ映画研究会≫を開催しています。

彼がいままでレクチャーをした監督と映画のプログラムです

5月24日 24/05
レオス・カラックス監督≪汚れた血≫(フランス)
Léos Carax : "MAUVAIS SANG"
ピエールの解説 commentaire de Pierre

6月28日 28/06
ダリオ・アルジェント監督≪サスペリア パート2≫(イタリア)
Dario Argento : "Profondo Rosso (Deep Red)"
ピエールの解説 commentaire de Pierre

7月26日 26/07
リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ監督≪ロゼッタ≫(ベルギー)
Luc et Jean-Pierre Dardenne : "ROSETTA"
ピエールの解説 commentaire de Pierre

8月23日 23/08
ラース・フォン・トリアー監督≪イディオッツ≫(デンマーク)
Lars von Trier : "Idioterne (The Idiots)"
ピエールの解説 commentaire de Pierre

9月20日 20/09
ペドロ・アルモドバル監督≪トーク・トゥー・ハー≫(スペイン)
Pedro Almodóvar : "Hable con ella (Talk to Her)"
ピエールの解説 commentaire de Pierre

10月25日 25/10
ヴェルナー・ヘルツォーク監督≪アギーレ、神の怒り≫(ドイツ)
Werner Herzog : "Aguirre, der Zorn Gottes"
ピエールの解説 commentaire de Pierre

11月15日 15/11
オリヴィエ・アサヤス監督≪Clean≫(フランス)
Olivier Assayas : "Clean"

12月27日 27/12
アキ・カウリスマキ監督≪過去のない男≫(フィンランド)
Aki Kaurismäki : "Mies vailla menneisyyttä (The Man Without a Past)"
ピエールの解説 commentaire de Pierre

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2008年12月21日

ピエール映像作品上映会の写真

こちらのページでご紹介した、
当会の常務理事で奈良前衛映画祭実行委員会副理事長の
ピエール・シルヴェストリPierre Silvestriの作品の上映会(2月19日)ですが
カンヌ映画祭でグランプリを受賞した≪殯(もがり)の森≫で主演した
うだしげきさんはじめ、多くの人が駆けつけてくれました。

遅くなりましたが、そのときの様子を携帯電話で写した写真をアップロードします。

なお、ピエールは現在、新しい2つの作品※の準備中です。
来春にスタジオ≪ワルハラ≫にて上映会をおこなう予定です。
このページでご案内しますので、ぜひお越しください。
※※※※※
≪S par S≫(SによるS)〔上海で撮影〕
≪Mon temps à moi≫(わたしの時間) 〔奈良県で撮影〕


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2008年12月18日

『過去のない男』(フィンランド映画、アキ・カウリスマキ監督、95分、2002年)

カウリスマキの世界は、現代の映画の中で、最も特徴的なものの1つである。彼の独自性は、私たちにフィンランドを見せるところにある。フィンランドはヨーロッパの果てに位置し、住民たちは絶え間ない移住という環境におかれ、田舎から街へ移動することになる。それは、近代官僚制度の滑稽な光景がある、ヨーロッパにある一種のノーマンズ・ランドを描写することになる。彼は、現実をあるがままに譲歩することなく見せ、その結果、それはメディアに現れるのとは違う現実なのであるが、それによって、繁栄した国家の中で、貧困化への道をたどる現実の地域がどのように根付いたのかを見せる。
「名前のない男が街に到着して、すぐさま死ぬほど殴られる。これが叙事詩的なドラマの始まりである:映画あるいは夢というべきかもしれないが、そこでは、孤独な心が空のポケットをかかえ、我らの神がまします天空のもと、さまようのである…あるいは鳥たちの天空というべきかもしれない。」これは、カウリスマキによって書かれた、『過去のない男』のプロダクションノートの初めの部分である。
この作品は一見明快であるが、分析してみると形而上学的な点が明らかになる。カウリスマキは天空について語っているが、彼にとっては、宗教的あるいは神秘的な映画を作るということは考えられないことである。一見したところ『過去のない男』は記憶喪失者の物語である。しかし、主人公が激しく殴られる時、それは形式的な描写ではない。彼は実際に死んで、医者が死亡を宣告するのである。次の場面で、彼は不意に目覚めるが、私たちには何も示されない。復活かあるいは再生か?私たちは、言外の意味とすぐに否定される手がかりについて論争しなければならないだろう。カウリスマキは非常に独自のジャンルの神秘主義者である。ある種、無神論の神秘主義者なのである。彼は、前もってすべての宗教的言説を破壊するだけでなく、自分の「夢」を辛辣な社会の状況の中に、根を下ろさせるのである。それは追放された人々の世界、コンテナの中で暮らすという境遇に追いやられた人々の世界である。

色は、『過去のない男』の中で重要な役割を果たしている。色彩は追放された人々の世界(色を塗ったバラック、鮮明な色のシャツ、派手なジュークボックス)を支配している。完全に灰色の背景であっても、壁にはいつも赤い正方形がある。赤は普通、危険や死に結びつくが、ここでは生命と希望の色である。カメラマンのティモ・サルミネンによって構成された細心の映像は、北欧の特殊な光、終わらない光の中で、冷たく現実的な色彩に恵まれている。ほとんどの場合、室内は薄暗く惨めである。カウリスマキは文字通り50年代のハリウッド映画を思い出させる色彩に夢中のようである。彼の作品では、色彩は全く現実的ではない。
現代の映画の主人公は今や、自分の記憶にさいなまれる。物語の中をさまよい、常に同じところに戻る。時に疎ましい思い出が立ち現われて、彼を悩ませることがあるとしても、現実は、彼にとって常に手つかずのものである。『過去のない男』では、頭に傷を負った主人公は過去を失う。彼は、小さく貧しい共同体に入り、そこで愛に出会う。警察が彼を発見し、彼自身の人生に戻した時、彼は元妻を覚えておらず、自分の社会的環境に戻ることを望まない。そして、他人が語る、自分自身の前の人格に驚くのである。彼は違う人間になり、自分の過去が彼を悩ませるのである。記憶喪失は、前進し、勝ち取るための力であり、自分自身を再発見するために与えられた可能性である。未来はこの過去のない男のものである。
カウリスマキの映画はほとんどすべて、経済的に貧しく運命に打ちのめされた人々、しかし、模範的な誠実さと誇りに力を得た人々について語っている。苦しみと制約を超えて、登場人物たちは、つねに、連帯、同情、率直さといった本質的な価値の精神を持ち続けることに成功している。『過去のない男』のおかしみは、Mが乗り越えなければならない試練の平凡さと、彼がそのために計るすべての計略との対比によって生まれている。カウリスマキは、初めは最も小さく突飛なディティールを、滑稽な物語に変化させることができるのである(例:笑いを誘う強盗事件に続く、銀行口座の開設)。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2008年12月16日

ヨーロッパ映画研究会例会

毎月(基本的には)第4土曜日の18時から
NPO法人京都・奈良EU協会では
「ヨーロッパ映画研究会」の例会を開催しております

当会理事でヴィデオ・アーチストのピエール・シルヴェストリPierre Silvestriが
ヨーロッパ各国のいろんな映画、映画監督の解説をしているのです
その熱弁はまさに圧倒的で
映画、特にヨーロッパ映画に関心のある人はぜひオススメです

080524-203157.jpg 080524-203208.jpg

いままで彼が解説した映画(監督)はこちら

ピエールの解説のあとには質疑応答があり、
これもいろんな国の言葉(おもに日本語、フランス語、英語)が
かわされることも

次回の研究会は1月24日(土)18時から
ポルトガルの映画監督
マノエル・ド・オリヴェイラ(Manoel de Oliveira、1908年ポルト生まれ)
の特に≪クレーヴの奥方≫La Lettre (1999年)を取り上げます


問い合わせmail toinfo@eurokn.com
資料代メモ300円(会員無料)


ド・オリヴェイラは現役の劇映画監督としては(たぶん)最高齢(100歳!)
本格的に作品を創り上げるようになったのは60歳を過ぎてからと大器晩成の代表格

ピエールの≪クレーヴの奥方≫についての解説はこちら(日本語en francais

場所はJR奈良駅近くのスタジオ≪ワルハラ≫
こちらのサンホテルの南側です
地図はこちらをクリックしてください
「キッチンまま」の角(コーラの自販機)の道を南へ
「ワタナベウェディング専用駐車場」の看板の裏側のビルの2階です
近鉄奈良駅からは市内循環バス(内回り)で三条川崎町下車
松屋の角を入ります
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2008年10月23日

ピエール、ドイツ映画を語る

EU協会では、映画担当の理事でVIDEO ARTISTのピエール・シルヴェストリ(元奈良女子大学
講師)が、月1回(毎月第4土曜日)情熱を持って、ヨーロッパ各国の映画について語っており、
その熱い言葉に魅せられたメンバーたちが集まっています。

次の集まりは10月25日(土)18時から、
JR奈良駅の近くの≪ワルハラ≫にて、
会費は300円、
問い合わせはinfo@eurokn.com まで。

10月、ピエールが紹介するのはニュー・ジャーマン・シネマの代表的監督の一人、
ヴェルナー・ヘルツォーク Werner Herzog監督です。

ヘルツォーク(本名:Werner Stipetic、1942年ミュンヘンで生まれ)監督は
脚本家・オペラ監督でもあります。
父親はドイツ人、母親はクロアチア人。
ミュンヘン大学で学んだ後にアメリカに渡り、ピッツバーグのデュケイン大学で学びました。

『フィツカラルド』でカンヌ国際映画祭監督賞を、
『カスパー・ハウザーの謎』で審査委員グランプリを受賞しています。

代表作である『アギーレ/神の怒り』 Aguirre, der Zorn Gottesについての
ピエールの紹介文はこちらです。
http://eurokn.seesaa.net/article/108320710.html (日本語)
http://narafr.seesaa.net/article/108321445.html (フランス語)

では、ともに映画を語りましょう!
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2008年10月19日

『アギーレ、神の怒り』(ドイツ映画、ヴェルナー・ヘルツォーク監督、95分、1972年)

この映画は、ヴェルナー・ヘルツォークがクレジットの始めで明らかにしているとおり、修道士ガスパール・ド・カルヴァジャルの日記から着想を得ている。この人物は実在したが、彼はその代わり、アギーレとともに行ったいかなる探検についても言及していない。しかし、彼自身はこうした探検にアギーレより20年前に参加していた。
もう1つの着想の源として、信じがたい人物であるクラウス・キンスキーによって生き生きと描写された登場人物については、アフリカの指導者ティト・オケロ(1914−1986)である。彼は、1979年、血なまぐさいイディ・アミン・ダダ将軍を失脚させた。1985年〜86年に、彼はウガンダでオボテ大統領に対するクーデターに参加し、6ヶ月後に今度は彼が権力の座を追われるまで、国を支配した。

撮影中のクラウス・キンスキーとヴェルナー・ヘルツォークの関係は、『アギーレ、神の怒り』が彼らの初めての共同作業であったにも関わらず、荒れておりまた情熱的なものであった。この状況は、続く共同の仕事において次第に顕著になりながら、『フィツカラルド』(1982)という企ての時に頂点に達した。実際、クラウス・キンスキーがあまりに不快な態度をとったため、映画のために雇われたインディオの部族の人々は、監督に対して、この俳優を殺すよう提案したほどであった。この闘争的な関係は、監督による『キンスキー、我が最愛の敵』(1999)の中ではっきりと詳細に語られている。
大部分の場面はすでに撮影済みで、撮影チームの人々は、この仕事の状況により肉体的に大変な苦労をさせられていたにも関わらず、キンスキーは、ある日『アギーレ』の役を演じることをやめると脅した。ヘルツォークは、もし撮影を投げだすならば殺すと俳優をリボルバーで脅して、銃口を向けた。これは、映画作家が、もしかしたら行くところまで行ったかもしれないと、数年後に認めた事件のいきさつである。俳優はといえば、明らかに監督の言葉を弱めようとして、監督はただピストルを振り回しただけで、脅すような様子ではなかったと述べた。
『アギーレ、神の怒り』は、非常に低予算で(36万ドル)、しばしば危険なやり方で撮影された。時には山の斜面の小道で、撮影チームは最低限の安全で撮影を行った。作品はすべてペルーの壮大な自然の中で、しかも盗まれた一台のカメラによって行われた。『アギーレ』の撮影チームは現地で450人のエキストラを雇い、その内の270人は村人であったが、映画作家は400匹以上の猿を鍵となる場面のために買った。 ヴェルナー・ヘルツォークは、一度も自作のためにストーリーボードを作らなかった。すべての場面はその場で即興により撮影された。キャストは、これが唯一の役柄であるセシリア・リヴェーラのように、大半は経験のない俳優であり、また、ヘルツォークの友人であるブラジルの俳優・映画監督のルイ・グエッラが参加した。

ヴェルナー・ヘルツォークがこの伝説的な映画作品を撮影する前、どのような精神状態にあったかを理解するためには、彼がある日発言したことを参照するだけで十分である。「『アギーレ』を撮影するまで、私はペルーに行ったことがなかった。私はそのロケーションと、雰囲気を細かく想像していた。それは非常に興味深かった。すべてが、まったく私の想像したとおりであった。ロケーションには選択の余地はなかった。ロケーションは私の想像に屈するしかなく、わたしの思考に従うしかなかった。それが起こったことだった。風景は私の呼びかけに答えたのだ。」

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原 万友美)
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2008年09月19日

『トーク・トゥー・ハー』(スペイン映画、ペドロ・アルモドバル監督、110分、2002年)

40代の作家マルコと若い看護師のベニグノは隣り合って座るが、まだお互いを知らない。ピナ・バウシュのカフェ・ミュラーという公演を観に行ったときのことである。のちに、ベニグノはこの公演のことを、昏睡状態の若くて美しい女性、アリシアに話して聞かせる。彼は何年も前から彼女の看護を担当していて、彼女に恋していた。
マルコはといえば、プロの闘牛士であるリディアという女性と付き合い始めるが、彼女はやむを得ずマルコをベニグノに引き合わせることになり、強く複雑であいまいな友情が生まれる。
 この友情こそ、ペドロ・アルモドバルが2つの興味深いテーマを浮かび上がらせながら、私たちに物語るものである。それは、孤独と解毒剤としての言葉である。
登場人物は全員が孤独の犠牲者である。昏睡によって世界から切り離された女性たち、脇の登場人物、闘牛場の中心にひとりぼっちでいる牛、そして女性たちに見捨てられた男性たち。こうして、深い傷跡を持つ運命が交錯する。
この傷跡が、彼らを致命的な孤独と向き合わせる。なぜなら、私たちの存在の証しは他者の中に存在するからである。他者の視線が私たちに形を与え、その不在は私たちの衰えを引き起こすのである。そのことをベニグノは、知性によってではなく、純真な魂だけが到達できる、心からのプラグマティズムのおかげで理解するのである。そして、彼はこの理解を、知識人であるマルコと分かち合う。この方法によって、二人の男性は存在することができ、二人の女性は生き延びるのである。
この言葉というテーマは、本質的な力を持つ武器として描かれている。言葉は傷つけ、解放し、なだめ、破壊する。どちらにせよ、言葉はベニグノがするように使われるべきなのである。つまり、最大限の誠意をもってということである。そうでなければ、言葉は破滅を引き起こす。たとえ聞かれているのかどうか、さだかでないとしても話すことを学ばなければならない。
アルモドバルの映画は常により良いものになり続けている。
この映画作家は最も得意とするところに専念している。それは、彼が愛する登場人物たちを創造し、彼が才能と情熱をもって語る物語に登場させることである。数年前には彼の特徴であったバロック様式と過激さは、今日では洗練されたスタイルに場所を譲ったが、形式的な大胆さと物語に完全に同化したスケールの大きな独創を忘れてはいない。
アルモドバルの主題は、その破壊的な特徴を強めている。なぜなら極端さは少しずつ消えて、かわりに、より信憑性のあるトーンが表れているからである。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2008年09月17日

ピエール、スペイン映画を語る

EU協会では、映画担当の理事でVIDEO ARTISTの
ピエール・シルヴェストリ(元奈良女子大学講師)が、
月1回(毎月第4土曜日)情熱を持って、
ヨーロッパ各国の映画について語っており、
その熱い言葉に魅せられたメンバーたちが集まっています。

次の集まりは9月27日(土)18時から、
JR奈良駅近くの≪ワルハラ≫にて、
会費は300円、
問い合わせはinfo@eurokn.com まで。


9月、ピエールが紹介するのはスペイン映画、
カスティーリャ・ラ・マンチャ州出身の
ペドロ・アルモドバルPedro Almodóvar監督です。

アルモドバル監督は1951年生まれ、
フランコ独裁政権の時代の民主化を目指した反権威的な音楽・絵画・映像などの
芸術活動に加わりました。

同時にロック(パンク)バンドのメンバーでもあったことは
ピエールとの共通項でしょうか?

そして、息子を失った母親を描いた
『オール・アバウト・マイ・マザー』Todo Sobre Mi Madreで
アカデミー外国語映画賞を受賞、
『トーク・トゥ・ハー』Hable con Ellaでアカデミー脚本賞を受賞
(外国語映画で受賞したのは他にクロード・ルルーシュClaude Lelouchの
『男と女』Un homme et une femmeのみ)。

いまではスペインを代表する映画監督の一人となりました。

ピエールの『トーク・トゥ・ハー』Parle avec elle (Hable con ella)に
ついての紹介文(フランス語)はこちらです。

現在翻訳中で、翻訳文は当ブログに投稿予定!

では、ともに映画を語りましょう!
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2008年08月17日

『イディオッツ』(デンマーク映画、ラース・フォン・トリアー監督、110分、1998年)

ラース・フォン・トリアーは、世界の第7芸術のパノラマにおいて唯一の奇才である。長編映画のたびに、彼は違った心の底からの固い決意を持ってきた。彼の初期の作品に見られる巧みな形式主義は、次第に視覚的な飾りをすべて取り除かれた、人間の苦しみだけを表現する映画に場所をゆずった。
この進化の最高潮にあるのは、もちろん、彼が先導者の1人であったドグマ95であり、『イディオッツ』である。しかし、この映画的禁欲主義への回帰は、彼の過去の手法を否認するものではなく、1つの必要な進化にすぎない。
 1995年5月13日、コペンハーゲンで、ラース・フォン・トリアーは、友人である3人の映画作家とともに、ドグマ95を作り上げた。それは、ある種の「映画的貞潔の誓い」であった。ドグマ95は、20年代のアバンギャルド理論からインスピレーションを得ており、作為的な映画と戦うための、10の厳しい規則からなる。監督は、すべての審美的・主題的な野心から自由になって、ごまかしなしに現実を再現しなければならない。
ラース・フォン・トリアーは、この挑戦の中で、すべてをコントロールするという抑えきれない願望を忘れさることに成功する。この変革によって、彼は、ヒロインが愛のために自分を犠牲にするという童話に着想を得た三部作を成功させることができた。完璧なフレーミングによるショットは姿を消し、ラース・フォン・トリアーは、手持ちのカメラによる自然のままの撮影を優先する。それは感情を、よりありのままに捉えるためであった。三部作は、ドグマ95の前に制作されたドレイヤー風の宗教的メロドラマ(『奇跡の海』−1996年)、リアリズムの映画(『イディオッツ』)、そして、前2作の集大成となるミュージカル・メロドラマ(『ダンサー・イン・ザ・ダーク』−2000年)からなる。

イディオッツは、ドキュメンタリー映画の手法で撮影された。映像は本能的で譲歩はない。俳優は絶えず動き続けるカメラで撮影され、映像にはまったく手が加えられていない(音についても同じである)。映画は現実と直結しているのである。
『イディオッツ』は、資本主義社会の周辺で生き、彼らが呼ぶところの「内なるイディオット(白痴)」を解き放つことを決めた個人の集団を生き生きと描写する。彼らは、自分たちの庭、あるいは公共の場所で精神病患者のようにふるまうことで日々を過ごす。子供を失ったばかりの女性が、この「イディオット」たちと出会い、彼らとともに日々を過ごすことを決意していく。彼女の視点から、観客は実際にこの集団の世界を深く理解することができる。
「イディオット」たちの行動は複雑である。資本主義というシステムに対する辛辣な批判であり、社会がその上に成り立っている規範を乱すという試みであり、個々の幸福を考え出すという意思でもある。新たな参加者によって投げかけられる数々の疑問が表れてくる。精神病患者をまねることは可能なのだろうか?進歩しつつあり無秩序な行為のある共同体で、どのように共存すればいいのか?
『イディオッツ』は社会的規範と決別することの難しさを表している。この映画には、叫び声もスキャンダルもないが、断絶は非常に暴力的なものである。なぜなら、個人が他の人間になろうとすることは、つまり、根底からの自分自身になろうと試みることで、家族や社会によって教育された、自らの一部を失うことだからである。人間性の喪失はもはや社会の症状ではなく、社会への抵抗のしるしなのである。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2008年07月19日

『ロゼッタ』 (ベルギー映画、リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ監督、90分、1999年)

『イゴールの約束』(1996年)において、ダルデンヌ兄弟はすでに、失業によりむしばまれた社会の変調を告発している。そこでは、もっとも憎むべき抜け目のなさが、ついには仕事の代わりになってしまっている。『ロゼッタ』で、彼らは同じ暗部を探りつづける。しかし、前作と同様、ダルデンヌ兄弟は社会風刺にとどまることなく、ひとつの並はずれた運命を描写する。『イゴールの約束』では、善き人になるため、汚い父親を「殺す」ことを余儀なくされる、若いイゴールの乱暴な「精神分析」があったが、『ロゼッタ』では新たに、早く大人になり過ぎた少女の傷ついた無意識に沈潜することになる。2つの作品の糸口となるのは、崩壊した家族という同じ図式である。『イゴールの約束』の主人公の母は不在で、ひどい父だけがいる。『ロゼッタ』では父が不在で、ロゼッタの助けにならない母だけがいる。必然的に、この最初の不調により重大な役割の逆転が引き起こされる。大人たちは思慮のない子供のようにふるまい、「早熟な」子供たちが親たちの生活を導く。

 ロゼッタはひどく苦労する。やっと10代後半になったばかりで、彼女は、高速道路沿いのキャンプ場にある、吹きさらしのトレーラーに無断で住みついている。一緒にいるのは、アルコール依存症の母親だけで、彼女は毎朝、普通の世界との超人的な戦いを始めるために起きだす。食べて、体を洗い、仕事を見つけなければならない。すべての行為は厄介になり、すべては荒々しくなる。ロゼッタは絶望的なエネルギーに支えられている。それは、すべての希望が無くなったかのように見える時、溺れた人が抗い続けるエネルギーと同じものである。
 広大な湿地と荒れ地からなる黙示録的なベルギーで、ロゼッタは自分にできることにしがみつく。工場での仕事、古着を使った商売、ゆで卵などである。彼女を必要としていない世界の中で、彼女の努力は悲痛なものとなる。ダルデンヌ兄弟が彼女に望んだのはこのようなことであった。「私たちは、カフカの『城』(1926年)の登場人物Kのことを考えていました。Kは城にたどり着くことができず、村では受け入れられず、自分は本当に存在しているのかと自問します。このことから、私たちは疎外された1人の少女、社会に戻るために必要な何かを手に入れることを望んでおり、つねに再び社会の外に出されてしまう少女というアイデアを得ました。」
 もっとも悲しい人生ではそうであるように、映画は脚本に基づいているというよりも、むしろ一連の状況に基づいている。そこで支配的なのは、敵対的な環境の中で生き延びようとする意思である。動作の反復性は、ロゼッタに課された歩みの重苦しさを表している。ダルデンヌ兄弟は何度も、彼女がトレーラーに帰るために、靴を脱いで長靴を履くところを撮影する。思考が、完全につまらない動作を中心にして形成されるとしたら、文字どおり、どのようにして未来に自分を投影するのだろうか?つねに繰り返される惨めな現在、貧しい国における、ある種の不必要で周期的な混乱があるだけである。

ダルデンヌ兄弟は『ロゼッタ』でカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞した。手持ちカメラを使って、彼らは、存在をかけた毎日の戦いの中にあるエミリー・デュケンヌを最も近くから追った。彼女はこの役で主演女優賞を得た。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2008年06月25日

『サスペリア パート2』(イタリア映画、ダリオ・アルジェント監督、105分、1975年)

 イタリア出身で、父はプロデューサー、母は写真家、まずは映画の批評家であった彼は、『ウエスタン』(1969)の脚本を共同執筆する。時はまさに、ハリウッド映画の消えつつあるジャンルが、イタリアに活路を見出そうとしている頃であった。
 最初の作品である『歓びの毒牙』(1970)以来、彼はおもに「ジャッロ」と呼ばれるジャンルの作品を撮った。暴力が残虐性を帯びた犯罪の物語で、その特徴は、強い興奮と恐怖を楽しむために足を運ぶ観客によく知られた不変のコードであった。

しかし、この境界線の内側に閉じこもるどころか、アルジェントの作品は、マニエリスム絵画からバロック芸術、ヨーロッパのヌーベルバーグまで多くの様々な影響の融合であり、ジャンル映画と現代性の総合である。
現代性から、彼は様式の大胆さと実験に対する関心を導きだし、ジャンル映画からは、登場人物、犯罪者、被害者、探偵、そして秘密の陰謀と血なまぐさい儀式からなる物語とを引き継いだ。

アルジェントは、高尚な素材と下品な素材を混ぜ、継ぎ合わせることを好んだ。例えば、彼の作品では、オペラと写真小説は隣り合っている。
アルジェントの映画の美は、非常に危うい状態にある。それは、観客が見たものを信じ、感覚が理性よりも優位に立つことを受け入れる、という条件のもとに成り立っている。したがって、新しく魅惑的な世界が出現し、現実は謎の一部を明かし、観客は抽象的な悪夢のただ中に飛び込むのである。

『サスペリア パート2』はダリオ・アルジェントのフィルモグラフィーの中で特別な作品である。彼はこの作品に自分自身の要素を多く取り入れている。彼はとりわけ、マーク(デヴィッド・ヘミングス)とジャンニ(ダリア・ニコロディ、彼女は当時、監督の恋人になった)という2人の登場人物の関係を重視している。彼女はやや男性的な面を持っており、彼は女性的な一面がある。彼らは相反する性格である。
形式的な点から見ると、彼はほとんど実験的ともいえる多くのことを試みた。カメラの動きはとてつもない作業を必要とした。
彼は、劇場で大勢の観客を前にした、非常に鋭い知覚を備えた一人の女性というアイデアから出発した。彼女は聴衆の中に一人の狂人、一人の殺人者がいるということを感じるのである。

伝統的なジャッロ映画である以上に、『サスペリア パート2』は精神的な構築物である。脚本というよりは、むしろ物語の筋立ては、題材または素材になっている。それに、クレジットタイトルをさえぎるフラッシュバックは2人の脚本家の名前のすぐ後に入れられている。反対に音楽は、監督の名前を強調するために突然止まっている。
それ以前には疑う余地があったとしても、この作品以降は、アルジェントとほかの監督の作品を混同することは不可能であろう。それぞれの場面には作家の特徴が表れているからである。飽和状態の色彩の仕上がり、殺人の病的な詩情、省略された語りなどにより、『サスペリア パート2』は『サスペリア』(1977)とともに、彼のすべての作品が比較されることになる、この作家の基準となる作品とみなされている。

ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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2008年05月23日

フィトゥスィ氏を迎えて第1回ヨーロッパ映画を語る会

ピエール・シルヴェストリ(京都・奈良EU協会理事・映像作家)を中心とした
ヨーロッパ映画の集まりが始まります。

毎月第4土曜日の18〜21時、JR奈良駅近くのスタジオ≪ワルハラ≫で。

【第1回:5月24日(土)の18時から】

【会費】京都・奈良EU協会会員は無料、一般は300円。

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会場のスタジオ≪ワルハラ≫はサンホテルの南側です。
ホテルへのアクセスはこちら

サンホテルの南側(「キッチンまま」)の角(コーラの自販機)の道を南へ。
「ワタナベウェディング専用駐車場」の看板の裏側のビルの2階です。
近鉄奈良駅からは市内循環バス(内回り)で三条川崎町下車。松屋の角を入ります。

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例会にはフランスの映画監督、ジャン=シャルル・フィトゥスィ氏も参加予定です。
フィトゥスィ監督が2005年に発表した『 Nocturnes pour le roi de Rome(ローマ王のための夜想曲)』
は2006年カンヌ国際映画祭と平行開催のイベント「批評家週間」に出品されました。

同氏は『汚れた血』のカラックス監督とも作品製作等に関わっております。

フィトゥスィ監督についてくわしくはこちらを参照。
posted by nakai at 19:39| 京都 ☁| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『汚れた血』(フランス映画、レオス・カラックス監督、115分、1986年)

フランス映画界にこれほど鮮烈に出現し、これほど華々しく、大胆に一時代を体現し、前代未聞の形式的な荒々しさをもって、今までの映画の様々な状態を総合した手法を用いた映画作家はほとんどいない。レオス・カラックスはそれを成し遂げた。たった一人で、すべてに逆らって。

カラックスは宇宙人だと言われている。彼の作品は空から降ってきたように見えるからである。作品は夢から生まれる。彼のフィルモグラフィーはその簡潔さに特徴がある。劇場公開の長編映画4本、『ポーラX』のテレビ用バージョン『ピエールあるいは曖昧さ』である(さらに、数本の短編映画とビデオクリップをつけ加えなければならない)。


レオス・カラックスは無声映画への限りない情熱について繰り返し表明している。そして創作活動において、ビュルレスクやパントマイムを取り入れながら、美的な面でそれを引き受けている。

彼は第七芸術である映画史上の偉大な名前を共存させた。キートン、チャップリン、ヴィゴ、コクトー、ブレッソン、ガレル、そしてゴダールである。


カラックスは映画の2つの対極を結ぶ想像上の線を綱渡りし続けている。それは、現代性と記憶という2つの極である。

彼の作品は何よりまず恋愛であり、彼に愛され、賞賛された女優への捧げものである。―『ボーイ・ミーツ・ガール』のミレイユ・ペリエ、『汚れた血』のジュリエット・ビノシュ、『ポーラX』のカテリナ・ゴルベヴァなど。

ドニ・ラヴァン演ずるアレックスはカラックスの分身である。


1986年公開の『汚れた血』については2つの言葉で表現することができる。閃光と感情である。この視覚的な詩は、当時、弱冠26歳の監督によって撮影され、空想と熱狂を漂わせている。これは、まず、アレックス(ドニ・ラヴァン)とアンナ(ジュリエット・ビノシュ)の熱狂的な愛の物語であり、「速く、速く、速く疾走し、でもずっと続いてゆく」愛の礼賛である。そして同時にまたシュルレアリスティックなギャング映画である。

年老いた2人のギャング、マルクとハンスは「アメリカ女」と呼ばれる女性に借金を返済しなければならない。かれらは研究所からワクチンを盗みだすことを計画する。そして昔の友人の息子であるアレックスに助けを求める。アレックスは仲間に加わる。かれはマルクの愛人アンナの魅力のとりこになる。


この物語の筋立てとは別に、デヴィッド・ボウイ、プロコフィエフ、タンタン、ゴダール、ランボーへのレファレンスによってリズムを与えられた奇抜なショットを通じて、輝きを放つ、色彩豊かな映像が作り出された。

タイトルそのものも、ランボーの散文詩「地獄の季節」の詩から取られたものである。

アレックスの最後の言葉は、「何時に船上へ運んでもらえばいいか教えてください」というものであるが、これは、文字どおり、ランボーがマルセイユから送った最後の手紙に書いた言葉なのである。


時がたつにつれて、『汚れた血』は80年代を象徴する映画になった。80年代は、エイズが(アレックスの恋人が、フレーム外で彼の性器にコンドームをつける場面を通じて語られている)恐怖とともに姿を現した時期である。詩的な力強さについては、今なお、まったく失われていない。


ピエール・シルヴェストリ
(訳:梅原万友美)
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MAUVAIS SANG (film français de Léos Carax - 115 minutes - 1986)

Peu de cinéastes ont fait une aussi belle irruption dans le cinéma français, avec un tel éclat, une telle audace dans la manière d'incarner une époque et de synthétiser, avec une violence formelle jusque-là inédite, divers états antérieurs du cinématographe. Leos Carax l'a fait. Seul et un peu contre tous.
Carax passe pour un extra-terrestre parce que ses oeuvres semblent tombées du ciel. Elles naissent du rêve.
Sa filmographie se distingue par sa brièveté : quatre longs métrages pour le grand écran et une version de Pola X pour la télévision rebaptisée Pierre ou Les Ambiguïtés (il faut ajouter à cela quelques courts métrages et vidéoclips).
Léos Carax affiche régulièrement sa passion illimitée pour le cinéma muet et l’assume pleinement sur un plan esthétique en introduisant le burlesque et le pantomime au sein de ses créations.
Il a fait coexister de grands noms de l’histoire du septième art : Keaton, Chaplin, Vigo, Cocteau, Bresson, Garrel et Godard.
Carax n’a de cesse d'avancer tel un funambule sur une ligne imaginaire reliant deux pôles du cinéma : celui de la modernité et celui de la mémoire.
Ses films sont d'abord une affaire d'amour, une offrande à l'actrice aimée et admirée - Mireille Perrier dans Boy Meets Girl, Juliette Binoche dans Mauvais Sang et Les Amants du Pont-Neuf, Katerina Golubeva dans Pola X.
Le personnage d’Alex, incarné par Denis Lavant, est le double de Carax.

Sorti en 1986, Mauvais Sang peut se résumer en deux mots : fulgurance et émotion. Ce poème visuel, réalisé par un metteur en scène alors seulement âgé de vingt-six ans, dégage fantaisie et incandescence.
C'est d'abord l'histoire d'un amour fou, entre Alex (Denis Lavant) et Anna (Juliette Binoche), un éloge de l'amour qui « va vite, vite, vite, mais qui dure toujours ». C'est aussi un polar surréaliste.
Marc et Hans, deux vieux gangsters, doivent rembourser une dette auprès d'une dame surnommée « l'Américaine ». Ils planifient le vol d’un vaccin dans un laboratoire. Ils font appel à Alex, le fils d'anciens amis. Alex vient les rejoindre. Il tombe sous le charme d'Anna, la maîtresse de Marc.
Au-delà de cette intrigue naissent des images fulgurantes et colorées au travers de plans insolites et rythmés par des références à David Bowie, Prokofiev, Tintin, Godard ou Rimbaud.
Le titre même du film est celui d’une poésie du recueil rimbaldien Une saison en enfer.
La dernière phrase que prononce Alex est : « Dites-moi à quelle heure je dois être transporté à bord », c’est-à-dire mot pour mot celle que Rimbaud écrit dans son ultime lettre de Marseille.
Avec le temps, Mauvais Sang est devenu un film-phare des années 80, celles où le sida (il en est question à travers une scène dans laquelle une amoureuse d’Alex lui pose un préservatif sur le sexe en hors champ) s’est déclaré dans toute son horreur ; quant à sa force poétique, elle demeure aujourd'hui encore intacte.

Pierre Silvestri
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2008年03月14日

≪奈良前衛映画祭≫趣旨

第1回『奈良前衛映画祭』趣旨

ユーラシア大陸の東に位置する日本。そのほぼ中央を占める奈良県の県庁所在地奈良市は、西暦710年「青丹よし 奈良の都は咲く花の にほふがごとく今盛りなり」と称えられるほど栄えた都・平城京が置かれ、以後74年間政治・文化の中心として繁栄しました。また奈良市は、シルクロードの東の終着点としても知られています。

この他、奈良市の東大寺大仏殿北西に建つ正倉院はシルクロードの影響を色濃く残す万物など、7・8世紀における東西文明の華麗な姿を今に伝える約9000点を収蔵し、毎年秋にはこれらを展示する『正倉院展』が開催され日本全国よりおよそ25万もの人々が奈良市を訪れます。

尚、シルクロードはBC2世紀より中国の漢の時代に長安より西はパミール山脈からペルシャ、ローマ、そして東は朝鮮半島から日本に達し、周辺地域では多くの物資や人々の往来が盛んに行われ多彩な文化・思想・工芸・芸術が開花しました。

このような深い歴史と文化が息衝く奈良市を拠点に、此のほど第1回『奈良前衛映画祭』を開催することと致しました。私たち東洋の良く知られた諺に「古きをたずねて新しきを知る」があります。悠久の歴史に対して真摯な態度で学ぶ時、何か新しい思想・文化・芸術が芽生えるのではないでしょうか?「新しい発見」「新しい出会い」「価値観の破壊・変容・改革・変化」「驚き 興味 必然性」など、貴方の≪止むに止まれぬ思い≫を映像に託して奈良まで届けませんか!!

21世紀の新たな息吹を斬新な映像で切り取る作品が、世界各国・地域より集いムービーロードを形成すると共に、極東の古都・奈良で多くの方たちと映画について濃密に語り合うことを夢みつつ、第1回『奈良前衛映画祭』の映像作品を公募致します。

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応募方法など

1)1時間以内の映像。表題・内容は基本的に自由だが、一般に公開して支障のない内容であること。

2)NTSC(日米)方式のDVDで9月末日までに提出すること。日本語以外の作品は英語字幕をつけること。

3)優秀作品は2008年10月30日(木)〜11月3日(月・祝)に奈良市三条本町のスタジオ≪ワルハラ≫で開催予定の第1回フェスティバルにて上映。

詳細・問合せはメールにて avantgarde@eurokn.com


奈良前衛映画祭準備委員会・委員長 斎藤雄久
posted by nakai at 11:20| 京都 ☔| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月17日

"Shinjitsu to kibou no shouzouga"—ピエール映像作品上映会

Shinjitsu_to_kibou_no_shouzouga.jpg

ピエール・シルヴェストリ。奈良フランス語クラブのリーダー、奈良日仏協会講師、奈良シネクラブを復活させた男。映画、映像を前に普段饒舌な彼は深く沈静し、ついで一層雄弁に語りだします。古今東西の映画を知り、もちろん日本に来たきっかけは小津安二郎であり、大島渚であり、そして河瀬直美でありました。そのピエールが自分で監督する!すでに3つの作品が完成しています。"Sexy poison", "Shinjitsu to kibou no shouzouga", "Under my thumb"をピエールの解説つきで一気に公開します!

2月19日(火)19時、奈良市三条本町のスタジオ≪ワルハラ≫にて

会費:会員無料、一般300円。場所はサンホテルの南側です。

こちらの地図をご覧下さい。サンホテルの南側(「キッチンまま」)の角(コーラの自販機)の道を南へ。「ワタナベウェディング専用駐車場」の看板の裏側のビルの2階です。近鉄奈良駅からは市内循環バス(内回り)で三条川崎町下車。松屋の角を入ります。

もがりの森に主演されたうだしげきさんも来られるとのことです。






posted by nakai at 21:03| 京都 ☁| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月12日

奈良前衛映画祭たちあがりました!

古き奈良、しかしいにしえよりシルクロードの終着点として新しい文化が流れ込んでいた奈良に前衛映画祭を開催するべく、準備が始まっております。

2月10日(日)に第3回準備委員会(斉藤雄久委員長)が開催され、いくつかのことが決められスタートを切ることになりました。

毎月第2土曜日の19時に準備委員会を開催すること。事務的な準備に加えて、映画を見て合評の練習、京都・奈良EU協会のピエール・シルヴェストリ常務理事によるレクチャー、等々。

秋に向けて、作品をインターネットや新聞で募集してゆき、10月くらいから毎月第2土曜日の夜(変更することも)に応募作の上映と合評。

スポンサー探しを続けながら、来年の秋くらいに第1回フェスティバルがおこなえるように努力する。基本的には定例会でかけられた作品を対象として賞を決める。

京都・奈良EU協会は奈良前衛映画祭をサポートする一方、5月から毎月第4土曜の夜(変更することも)に「ヨーロッパ映画研究会」を開催するが、前衛映画祭側と交流、相互に手助けをする。
posted by nakai at 16:13| 京都 ☔| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月22日

The first steps of the Film Club of European Cinemas

The Film Club of European Cinemas is going to start this year, probably in April, in a private cinema called Walhalla near from JR Nara Station.
Once a month, I will make discover the diversity and the dynamism of European cinemas from the sixties to recently (I present and interpret a movie, everybody can comment and ask me about it).


Now, I would like to announce you the first event of the Film Club of European Cinemas.

I’m French and I directed three video films.
1) Sexy poison (2007) is a 4 minutes clip of a song called Sexy poison and composed by Junkies Sex Dreams (it’s a French underground rock band from Rouen).
2) Shinjitsu to kibou no shouzouga (2007) is a short film up to 10 minutes.
3) Under my thumb (2008) is a movie which lasts more than 40 minutes.

I invite you to come and see Sexy poison, Shinjitsu to kibou no shouzouga and Under my thumb.
I will present the films before the screening.
The projection will be held on Tuesday, February 19, 2008 in a private cinema (about 50 seats) near the Nara JR Station.
You can ask questions or express your feelings after the screening.

There are two maps to explain where is the Walhalla (the event will take place over there):
- http://www.sunhotelnara.jp/
- http://www.matsuyafoods.co.jp/index.pl5


Pierre Silvestri
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2008年01月21日

ヨーロッパ映画研究会、ピエールの作品の上映会

2003年6月に新生奈良シネクラブを立ち上げたピエール・シルヴェストリさん、
その映画に対する知識と情熱はすごいものがあります。
ピエールを中心にJR奈良駅近くのスタジオ≪ワルハラ≫で月1回、
ヨーロッパ映画研究会の集まりをしたいと思います。

研究会に先立って、2月19日(火)の19時からピエール自身の作品を3つ
上映したいと思います。
ピエールの作品は昨年8月3日大阪教育大映画研究会<無責任サミット>等で
上映されましたが、こんどは≪ワルハラ≫の迫力サウンドで。

≪ワルハラ≫の場所ですが、サンホテル奈良の南側です。
こちらの地図をご覧ください。

こちらの「松屋」の角をサンホテル方面に曲がります。

posted by nakai at 23:04| 京都 ☁| Comment(0) | ヨーロッパ映画研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする