2013年05月14日

5/26のソワレは三野博司先生を迎えて♪

 5/26のソワレのゲストは、三野博司先生です。先生は、アルベール・カミュとサン=テグジュペリの専門家で「星の王子様」の翻訳もされています。
 内容は、カミュの生誕100年を記念してのものです。文学を志してから、ノーベル文学賞を受賞するまでのカミュの半生に思いを致しましょう。文学に詳しくないかたも、心配無用(のはず)です。
 その後は、フランスワインで乾杯して、楽しく有機野菜を召し上がってください♪八百屋ろさんでは、毎回、工夫を凝らした新ネタが登場します。前回は、こんにゃくの新鮮刺身やオニオンの和え物などが出ました。今回もおいしい料理を用意しております。

☆日時:5月26日(日)18:00〜21:00
☆場所:「八百屋ろ」奈良県奈良市学園朝日町4-4
(tel)0742-48-1076
(fax)0742-44-3720
※近鉄奈良線学園前駅から徒歩7分
☆会費:会員1000円、一般は1500円【軽食付き!】
※準備の都合上、出来ましたら予めご参加のお返事を頂けましたら幸いです!
(連絡先:EMAIL:info@eurokn.com,TEL:5504-1881)


○三野博司先生のプロフィール
1949年京都生まれ。1974年京都大学仏文科卒。78年大阪市立大学大学院修士課程修了、同文学部助手、83年講師、85年フランスのクレルモン=フェラン大学博士課程修了、文学博士。86年大阪市大助教授、1991年奈良女子大学助教授、96年教授。10年奈良女子大学文学部長。
アルベール・カミュを専門とする。1983年日本カミュ研究会を設立以来、代表を務める。2007年国際カミュ学会副会長。09-12年日本フランス語フランス文学会関西支部長。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%87%8E%E5%8D%9A%E5%8F%B8参照)。

(ご参考までに・・)
○カミュのBackground
 フランスからの入植者の家系で、アルジェリアに生まれた。生後間もなく、父を第一次大戦で失ったため、祖母の家に移り極貧生活を送った。哲学教授グルニエと出会い、文学に開眼、苦学をしながらアルジェ大学を卒業した。この頃より、劇団活動に没頭し、俳優として活躍する一方、戯曲の制作も始めた。新聞記者となり反戦論を振るったが、退去勧告を受けパリに出た。1942年に発表された『異邦人』によって期待の新星となった。戦後、サルトルらの後押し、『ペスト』の成功で順風満帆に見えたが、1951年の『反抗的人間』で左翼的革命を批判したことを廻ってサルトルと論争、また故郷アルジェリアで起こった独立戦争で明解な立場をとれなかったこともあり、次第に孤立するようになった。1957年のノーベル文学賞受賞で、創作意欲を吹き返した矢先、不慮の自動車事故で不条理な死を遂げた。

○サン=テグジュペリのBackground
 リヨン生まれ。ノートルダム・ド・サント・クロワ学院を経て、スイスの聖ヨハネ学院では文学にいそしむ。兵役(志願)で陸軍飛行連隊に所属。軍用機操縦士(士官)となる。退役し、士官なので自動的に予備役(陸軍予備役少尉)に。自動車販売員などに就業した後、民間航空界に入る。1926年、26歳で作家として本格的にデビューし、寡作ながら以後、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表。1939年9月4日、第2次世界大戦で召集され、トゥールーズで飛行教官を務めた。動員解除でフランス本土へ戻った後、アメリカへ亡命。大戦中、亡命先のニューヨークから、自ら志願して再度の実戦勤務で北アフリカ戦線へ。爆撃機副操縦士としての着任命令を無視して、古巣の偵察飛行隊に1944年5月にもぐり込む。1944年7月31日、フランス内陸部を写真偵察のため、ボルゴ飛行場から単機で出撃後、地中海上空で行方不明となる。(wikipediaより抜粋)



posted by Azuma at 11:16| 奈良 ☀| Comment(0) | ソワレDEなら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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